3.11.2020

[theatre] West Side Story

7日、BroadwayにあるThe Broadway Theatreで見ました。土曜日のマチネで。 

久々のNYだしなんか見たいな、ってでもその「なんか」は軽く500個くらい出てくるし、でもこの辺が賛否含めて話題らしいし、Ivo Van Hove演出のはロンドンに来たのはそれなりの数見てきているし、振り付けのAnne Teresa de KeersmaekerのはBAMでずっと見てきたから、見ても.. いいよね、とかおことわりしたくなるようなメジャーなやつ。

チケットはほぼ売り切れみたいだったが数日前から辛抱強く公式サイトを漁って、これかな、くらいのを拾いあげた。クリックしたら2階の真ん中くらいでこの値段かよ?って少し引いたのだが、$1= £1で換算しているからよね。(この、1$ = 1£ = 100円換算って、やっちゃだめよねもう)

オリジナルの舞台は1957年のプロダクション、演出と振付けはJerome Robbins、音楽はStephen Sondheim - Leonard Bernstein。Shakespeareの”Romeo and Juliet”をベースとした若者たちの悲劇。New York、Upper-Upper West Sideの18:00から次の日の26:30まで、32.5時間のおはなし。休憩なしの1時間45分。よいライブを見たあとのかんじがくる。

敵対するJets団とShark団のTony (Jordan Dobson - understudyの人だった) とMaria (Shereen Pimentel)が出会って一瞬で恋に落ちて、でもなのに(泣).. のお話はいいよね。

50年代、アメリカにやってきた移民達のこてこてメロドラマを移民問題がいろんな角度から顕在化している現代ヨーロッパのふたり - Ivo Van Hove(IVH)とAnne Teresa de Keersmaeker(ATK)がリバイバル、というより再解釈する。

IVHの演劇は舞台上にカメラマンを置いて、そこで撮られた現場の微視映像もプロジェクションし、舞台袖の装置設定まで含めて骨格を晒して、ここで演技され客席に向けて提示されているすべてが演出と舞台デザインによるものであることを、すべてはお膳立てされたお芝居の世界なのだということを込みで、くどいくらいにびろびろ提示して、それでもなんか残るものがあるとしたらそれは何なのだろう? って考えさせる。
 
ATKのダンスはストーリーやテーマによって縛られがちなコレオグラフをエモや自然(光とか雨とか)の流れの中に解き放ち、それが新たに(爆発的な)うねりや復活(再生)のイメージを生みだす、ということを見つけたひとり、だと思っている。

このふたりのベルギー人がやってきたことって既定のなにかをバラそうとする、という点では似ているのだが、アプローチはやや異なる – 近視 vs. 遠視 -  な気がしていて、その辺はどうなのかしら、って。

冒頭、舞台上にそれぞれの団の全員がおらおら寄っていってやばい空気が立ちこめるのだが、そこで流れてくるのがLeonard Bernsteinのあの音楽なの。耳が痛くなるようなベースがどうどう鳴るヒップホップとかプエルトリカンパレードでじゃんじゃか鳴っているようなやつじゃないのか、って誰もが思うと思うのだが、ここをどう見るか。

プロジェクションは背景全体にでっかく投影されて、場面によってその壁の一部が切り取られて、それぞれの集団のたまり場での議論とか小競合いの様子が映しだされる。映像はデリに設置されているような監視カメラのそれであり、誰かのスマホが撮っているやつであり、臨場感とやばいことが行われている感は十分、あとはどこかのストリートをゆっくり移動していくイメージと。ここで晒されているような出来事はたぶん誰もがもう知っていることでオリジナルの抱えていたWest Sideの片隅 – 辺境の物語のかんじはない。

で、そこにBernsteinのあの音楽と"One Hand, One Heart"みたいなStephen Sondheimの歌詞が絡まるとどうなるか。 ノスタルジックななにかとしてまるごと強引にパッケージされてしまうか、これもひとつの段差とかノイズに近いなにかとして生地に織り込まれてしまうか、どっちもありのように見えて、それはそれでいいのかな、って。どうせなら音楽もMax Richterとかにして汎ヨーロッパにしてしまうか、The Rootsあたりに舞台上でライブ演奏してもらうとかもあったのではないか。

演出とダンスの絡みでいうと、まずIVHの舞台は視点や視界がひとつのシーンでもめまぐるしく変わっていくところがあるので、その視点の変容とATKのダンスの、流れをとらえてそこに乗る、ような目線の動きとがやや乖離してしまうかんじがあって、ここもどう見るか、なのよね。

人が寄っていって集団として群れてぐるぐるして離れて数人が残って、という動きに背景として投影された映像もモザイクとしてミックスされて、というところはとてもよく計算されていたのではないか。そしてそこから二人の悲恋にどう寄っていくのか… 

ただ、50年代のアメリカが彼らの移民コミュニティを見ていた見方と今のヨーロッパはもちろん、日本から来たような我々も含めて彼らを見る見方はたぶん既に、相当に違う。そのギャップを意識してもなお、”Romeo and Juliet”の物語に乗れるかどうか、ていうことを問うているだけでもよかったのか。もっとぼうぼうに抱きあって泣きたいようなひとからするとどうだろうか。

全体としては、元がそんな複雑な事情や構造を抱えこんたドラマではないので、IVHやATKからするとやや食い足らなくて、なので1時間45分で疾走してみた。その走りっぷりは見事。そんなところ?

ほんとうはこれ、Pina Bauschがやらないかしら、と思ってみたりする。無理だけど。

IVHの舞台は近寄りすぎるとプロジェクションも含めて全体が見えなく(見難く)なる難点があって、自分のいたあたりが丁度よかったかも。

次のIVHは、6月のIsabelle Huppertさま。

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