3.20.2020

[film] We Need to Talk About Kevin (2011)

13日、金曜日の晩の2本め、Tilda特集も2本めで、上映後にTildaさんと監督Lynne RamsayさんのQ&Aがある。

“Peter Ibbetson” (1935)が溜息連続のすばらしいクラシックだったので、これに続けて胃が痛くなりそうなサイコドラマを見るべきかどうか、少し迷ったのだが、この作品はいろいろなところで参照されたりするし、こういう機会でもなければこれからも見ないままかもしれないし、と見ることにした。

そう、この映画が公開された頃、評判がよいのはわかっていたのだが、なんかおっかなそうだったので見ないままになっていたのだった。

トラベルライターのEva (Tilda Swinton)とFranklin (John C. Reilly)が出会って結婚してKevinが生まれて、なぜか母親に敵意むきだしでくるので育児に苦労して擦り減っていくEvaの苦しみと、刑務所にいるらしいKevin (Ezra Miller)とEvaの面会を交互に、時系列をとっぱらって行き来しつつ、最後に何が起こったのかが明らかにされる。 でも何が起こったのかは明らかにされるけど、なぜ彼がそれをやったのか、Kevinは何が気にくわなかったのか、は最後まで誰にもわからない – だから”We Need to Talk About Kevin”、なの。

モンスターなんとか、なんて言うまでもなく育児という未知の動物との遭遇と格闘、説明不能なその恐怖がじわじわやってくる – Ezra Millerになる前のYoung Kevin (Jasper Newell)の不気味な「んにゃんにゃにゃにゃ」のよくわからないおぞましさときたら。

そしておそろしいのはKevin - Kevinだけではない。行き場を失った彼の憎悪がEvaに伝染・浸食していくかのようなショットと事件の後抜け殻になってしまったEvaの – “We Need to Talk About Eva” もあるはず。

冒頭のトマト祭りのトマト汁からEvaの家に投げつけられるペンキとかEvaの部屋に撒き散らされるペンキとかKevinの糞とか、飛んでくる/吹っ掛けられる飛沫のなぜ?という理不尽とその後始末のうんざりが始まりと終わりのスプリンクラーのふりかけできれいに清められる。 これらはばさー、って土砂降りのように均等に降りかかり、そんななか、Kevinは一点だけを狙う弓矢を手にする。

上映後のQ&Aはいろんな話が出たのだが、まずTildaさんは、Lionel Shriverによる原作を読んでいないのだったら是非読んでほしい、ブッシュ時代のアメリカを描いた傑作だと思うから、と。

時系列無視で過去と現在を行き来する構成は始めからスクリプトに書いてあったのか、という問いについては、書いていない、どこからどこの時期に飛ばしてどう繋ぐのかは全体の流れを見ながら決めていったが集中力のいるとてもしんどい作業だった、と。

Tildaさんが(今の上映はLynneと食事していたので見れなかったけど)是非もう一度見て、今Evaがどう見えるのか、自分はどう思うのか、そしてあなたはどう思ったのか、それはなぜなのか、について知りたいのだ、と。キャラクター作り、というのをあまり信じていないらしいことを”Conversation”の際にも言っていたが、そうやって映画のキャラクターはどこまでも生きていくのだと思った。

いま、BBC ONEで”Man Up” (2015)をやってる。だいすきなのこれ。

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