3.23.2020

[film] Cunningham (2019)

15日、日曜日の昼間、CurzonのMayfairで見ました。

ここの週末昼間はもともと、ぜんぜん人がいなかったのだが、この回、ついに自分ひとりになってしまった。シネコンの小さな部屋ならともかく、ここは由緒あるシアターでスクリーンもでっかいところなのでだいじょうぶかしら? って。

2Dと3Dの上映があって、3Dの上映は遠くに出かけるか4月迄待つかしかなかったので、2Dで見る。ダンスシーンは 3Dで撮っているようだったので、3Dで見た方がよいのかも。

Merce Cunningham (1919 – 2009)のダンスのドキュメンタリー。Merce Cunninghamというダンサー/コレオグラファーの軌跡を追ったもの、というより、Cunninghamのダンスがどのような発想・着想の元で作られ、John Cage, Robert Rauschenberg, Andy Warhol, Jasper Johnsといった同時代のアーティスト達とどう協業し、独自の発展を遂げていったのかを、現代のダンサーによるパフォーマンスを絡めつつ紹介していく(演目の紹介は70年代頃 - Cageとのコラボが終わり、カンパニーの初期メンバーがいなくなる頃まで)。

音楽とかリズムとかテーマとか神話とか、コンテキストから自由になったところ - ボディいっちょうでダンスはどんなふうにあることができるのか、そういうところから可能な限り自由であろうとしたとき、ダンスは、ボディーはどんな動きをしてみせるのか、という問い。 これが音楽の領域で、絵画の領域で、同じような - これはどうしてこんなふうになきゃいけないのか?・なくていいとなったときどうなるのか? - という意識を抱えたアメリカン・モダン・アートの連中の間で炸裂したとき、例えば身体はこんな変てこな動きを見せる。それは虫のように動物のように奇怪で自在で、それが複数名の組み合わせで組み上がって更に絡まってわけわかんなくなったとき、しょうがないからそれをダンスって呼ぶけど、ものすごく変なやつだと思う。 

そして見れば見るほどわけわからず、名付けようないその特徴ゆえに、彼のダンスは好きだった。タイトルがあるから、そのタイトル周辺の意味にちかいところで踊っているはずなのにちっともそうは見えないし、音楽からはどんどん遠くに行っちゃうみたいだし、気がつけばダンスってなんだろ? ていうところに羊はおいこまれていくの。

2年くらい前に、古本で彼の”Changes: Notes on Choreography” (1968) - 最近再発された? - っていう本を手にいれて、それをめくるとものすごく精緻な楽譜のように書かれたインストラクションがびっちりで、ここまで細かいのかー、ってびっくりするのだが、身体の動きとその変化を譜に落とすっていうのはこういうことなのか、って。 で、その先に実際の動きの速さと鋭さ、更に優美さがあることに感動するわけだが、この映画はその体験を改めて眼球の裏から掻き出してくれる。おもしろいったら。

彼のダンスは90年代〜00年代になるにつれてどんどん抽象化されてわけわかんなくなっていく感があったのだが、上演会で50年代、60年代のピースが上演されるとなんかほっとしたことを思い出したり。
最後に見たのはBAMで、2003年の”Split Sides” (2003)だったなー。RadioheadとSigur Rósがライブで伴奏したんだよ。ものすごくよい意味でアングラ臭かった。

Cunninghamが独立する前に所属していたMartha Grahamのとこのこういうドキュメンタリー映画があったら見たい。これもおもしろいものになるはず。

今日(23日, 月曜日)のロンドンはさらに厳しくなって、朝から必要ないのに外に出る人はセルフィッシュだ、って政府のひとが厳しく市民を糾弾してて、晩に入るとボリスが更に外出の条件を狭めてて、気付いてみればロックダウン、なのだった。 はいはい。

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