18日、水曜日の晩、Curzon Bloomsburyのドキュメンタリー小屋で見ました。
17日にいろんなところがばたばた扉を閉めていった時点では、Curzonはいつ閉めるとか言っていなかったのだが、その夕方に19日から閉めるよ、って。てことは18日は開いてるってことね? って取ったのがこれ。 ここから先暫くは映画館に行けなくなっちゃうだろうし、自分が感染したら二度と.. になっちゃう可能性だってあるので、なんか映画っぽい映画がいいな、って思って。
監督のPeter Bogdanovichが自らナレーションをして、いろんな(そりゃいっぱいいるわ)映画人にインタビューして、Buster Keatonの映画からの抜粋とかアーカイブ映像もたっぷり、102分は短いんじゃないか、くらい。
どさまわり芸人の一家に生まれて家族でボードビルショーをしながらKeatonになり、Roscoe 'Fatty' Arbuckleと出会って映画の世界に入って自分で映画を作るようになって、映画史的なところも大事だとは思うけど、それらを知らなくてもKeatonの名場面を繋げて繋いで見ているだけで、これは魔法だ、なんかとんでもないものだ、って思うようになるよ。
そりゃサーカスだってマジックだって花火だって似たやつはあるだろうけど、映画の初期にこの人が成し遂げた銀幕上でミリ単位で展開していくドミノ倒しの爽快感ときたら特別ななにかで、それはフィルムがからから高速回転しつつその上をなにかが動いていく(ように見える)驚異と重なって、なんであんなこと考えつくのだろう、なんでそんなことが起こっちゃうのだろう、っていう世界の不思議に直結する。
そしてそれらを涼しい顔で跳び箱とぶみたいにこなしてしまう彼の、暗いんだか冷たいんだかよくわかんないあの(無)表情。降りかかったりでんぐり返ったり牙をむいてくるあらゆる脅威や災厄を眉一つ動かさずにかわしつつ、こんなことになっているのは自分のせいではないんだけど、なにこれ? - って世界の外側に立ってしまうクールネス。 決して道化にはなることなく世界を破壊 - ”Buster” - するKeaton。 かっこいいったら。
登場する映画人は、Carl Reiner, Mel Brooks, Werner Herzog, Quentin Tarantino, Bill Hader, Cybill Shepherd, Richard Lewis, Johnny Knoxville, などなど、なかでは特にJohnny Knoxvilleの心酔ぶりはああそうかー、彼の”Jackass”はKeatonをやりたかったのね、って。遅いか。
Peter Bogdanovichの落ち着いた語りが、Keatonのとんでもなさを更に際立たせていて、これがMartin ScorseseとかQuentin Tarantinoだったらやかましく暑苦しくなっちゃっただろうなー。 Martin ScorseseはKeatonなんて興味なさそうだけど。
作品でより深く掘り下げられたのは“The General” (1926)、“Steamboat Bill, Jr.” (1928)、“Our Hospitality” (1923)の3本くらいで、見れば見るほど、また見たくなるの。 映画館の暗闇で、みんなでわぁー、とか、ひゅー、とかざわざわしながら見れる日が早く来ますように。
今晩、東海岸の17:00 - 英国の22:00から“The National - ‘High Violet’ Live From Brooklyn Academy of Music (BAM)” がYouTubeで流された。 冒頭のBAMの入り口だけで泣きたくなる。毎日こういうの流してくれるのなら家にいるよ。
3.30.2020
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