9日の青春映画学園祭、最初の一本。 朝はひどいざーざー降りだった。
英国製作のドキュメンタリー、といっても特定の史実や出来事をそれにまつわる映像記録や関係者証言と共に綴ったものではなく、昔のアーカイブ映像、ニュース映像をある筋書きに沿うよう恣意的に繋いで、そこに現代の俳優の声を被せてある現象、というか、ある時代の要請によって作り出された集団人格の誕生とその趨勢を追う。
題材は"Teenage"で、時代は1904年から1945年まで、それまでは「子供」と「大人」という区分しかなくて、「子供」は産業革命以降の労働力 - 大人の奴隷 - として要請された年齢枠で、その「子供」と「大人」の中間に形成された"Teenage"は迫りくる戦争の予兆を背景に兵力 - 国の奴隷 - として要請されたもの。具体的にはボーイスカウトの設立がそれを準備したのだと。
「子供」も、その後にやってきた「ティーンエイジャー」も、力と声を持たない(かに見えた)社会的弱者をある要請に基づいて集約して使い倒すため意図された人狩りの枠組みで、現代の”Teenage”のイメージがもつ甘酸っぱくてポジティブで無軌道なパワー、のようなものはなかったのだ、と。 これだけだとああそうなんだねえなのだが、時代の別の事情 - 軍需がもたらした好景気とメディアの発達 - が異なる風と光を呼びこんで、ティーンエイジャーは大人たちから離れて自分たちで、自分たちの声や歌やダンスやファッションを、スタイルを作り、語り、広め、互いに影響しあいながらダイナミックに世界を青く染めていくことになる。
それはもちろん、英国だけの話ではない同時多発で、源流となったアメリカがあり、更にはナチスが台頭するドイツでも"Teenage"が巻きおこしたうねりや爆発、それに伴う軋轢の悲劇やごたごたはあり、他方で彼らの勝手な動きが国や体制の想定した枠を逸脱して新しい文化的な何かを生み出していったことは確かで、この映画の作者は可能な限り若者たちのほうに寄り添うことでそこにあったかもしれない希望、可能性 - それはもちろん今に連なる - を摑まえようとしているかに見えた。
原作はPunk関連のテキストやコンピの編纂をしている人だとばかり思っていたJon Savegeさんで、その視座は一貫している。 ノスタルジックにあの時代の若者たちや事象を賛美したり回顧するのではなく、古地図を見ながらそれを現代の地図にremapして新たな革命や扇動の可能性を、その進路と退路を探っているのではないか。
ここに現代の若者(Ben Whishaw、Jena Malone、Jessie T. Usher、等)の声を被せ、現代の音楽(DeerhunterのBradford Cox)を被せたのはそういうことよね。
なのであまり暗いトーンはなくて、バトンは渡ってきているからね、という意志のようななにかが漲っている作品だった。 トラックを作ったのは誰か、というのはあるにせよ。
あともういっこは、おそらくはマーケティング用語として80年代くらいから出てきた(気がする)「ジェネレーション」ていうのをどう見るべきなのか、とか。
こっちのほうが手強くて、めんどいかも。
関係ないけど、Austinで買ってきたCursiveの”The Ugly Organ (Deluxe Edition)”のアナログがあーまりにすばらしいのでびっくりしている。リリース当時のオリジナルもすばらしかったけど、もうぜんぜん別物のクオリティ。チェロは縦横に暴れ回っているし、オリジナルラストの”Staying Alive”の冒頭で広がる星屑の深さと細かさときたら。
あ、それでも彼らのライブにはまったく敵わないのだが。
10.31.2016
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