10.09.2016

[Theatre] The Hard Problem

10月1日土曜日の昼、日本橋で見ました。
National Theatre Liveの”The Hard Problem”。

原作がTom Stoppard 、演出がNicholas Hytner 、ていうとっても(よくみる気がする)モダン演劇のオーソドックスな組み合わせなのでどんなもんかしら、程度で。

ふつーの大学で心理学の修士を終えて就活中のヒラリー(Olivia Vinall)はJerry Krohlていうヘッジファンドの大金持ちが設立した最先端の脳科学研究所に面接に来て、でもそこに応募にくるのはすげー大学で先端研究ばかりやっている頭きれそうな人たちばかりみたいなのでまただめかー、になるのだがたまたま通りかかった研究所の上のひとと少し議論をしたらそれが引っかかったらしく採用される。

最先端の脳科学研究で日々解析が進んでいる脳の構造とか思考の仕組み、それらをいくら突き詰めていっても解けそうにない厄介な問題 - The Hard Problem - が例えば「意識」について - 意識はどこでどうやって生まれて自分が自分であることを受けとめてそれを維持しようとするのか、とか - で、この劇はそういうのに対する解法とかアプローチとか、を研究所の様子とか研究者の像とかを通してハードに追うのではなく、ヒラリーのエリートで傲慢な彼との難儀な関係とか、若い頃の事情で養子に出してしまった娘への想いとか、そういう日々のなか普通に自然に出てくる「祈り」とかを通して浮き彫りにしようとする - のかな。

ここにはものすごく沢山の古来からの問題に命題、生命と霊魂とか、思考と実存とか、いろんなのが含まれているわけだが、この舞台では、割とダメ系理系女子ヒラリーの日常 vs 最先端の脳科学の現場とのギャップとか、脳の動きを完全に押さえて数式化できればじゃんじゃかお金を儲けられるはずじゃん? ていう企業とかファンドの論理とか、でもいくら解析していっても「意識」のとこだけはわかんないんだよう、て嘆く研究現場のどん詰まりとか、で、でも結局みんなあんま幸せを掴めてないよね、とか、そういう身近なわかりやすい角度から描かれる。

理系的なアプローチで世界を詰めて解いていけばすべては明らかにされて世界平和がもたらされる - 科学技術万能論みたいな愚かで幼稚な世界観がどこでどうやって形成されて蔓延してしまったのか、ちっともわからないしわかりたくもないが、ここで展開されるのはそのひとつの典型的な症例で、結局お金なのかー、でも最後に人を動かすのは愛だからね、みたいなとこに落ちるお話し。

理系の世界って、あるパラダイム置いたらそこを掘るだけのこと、あとはお金とリソースがあればいい、ていうやり方(もちろんすべてがそうとはいわない)で動くので、企業や政治の論理(→ 社会貢献。ふん)との親和性が高くて御し易くて、この状態でナチスドイツ以降、原子力以降の世の中は動いていて(いまのにっぽんの政策は基本それ - 思考放棄も甚だしい)、もう少しその辺に突っこんでくれるかと思ったのだが、そうならなかったのが残念だったかも。

別に理系(含.IT)のひとを責めるわけじゃないけど、責めるべきは予算(= 権力)握っている連中なのかもだけど、世界観の置き方がなんか無邪気すぎるわよね、とか文系はふつうに思った。心理学の領域では割と昔からあるけど、すべてはニューロンの経路がとか、すべては幻想とか、そういう枠内でなんでも説明したがるやつ。

あと、テーマとして決して小さくないので、どちらかというと小説向きのお話しではないかしらん、とか。 演劇でやるにしてはあまりにお茶の間ドラマのほうに纏まりすぎていたようなー。

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