21日の夕方、”The Intern”のあと、新宿でみました。
ちゃんと前日から予約していきましたよ。 ぜんぜん心配いらなかったけど。
結局、「メナヘム・ゴーラン映画祭」はぜんぜん行けなかった。
せめて追悼の思いをこめて『キャノンフィルムズ爆走風雲録』だけでも見なければ、と思っていたのに行けなかった。 おじいちゃんごめんよ。
でもこの”Apple”だけは見なければ、だったの。
なぜならわたしはBIMのシールを持っている(いいから持ってろ、て持たされた)BIMの信者だから、まさかの日本公開にあたっては当然の義務だったの。
前に見たときのログはこちら。(もう5年前かよ… )
http://talkingunsound.blogspot.jp/2010/11/film-apple-1980.html
ついでに同じ特集上映での「暴走機関車」のときのがこれ。
http://talkingunsound.blogspot.jp/2010/11/film-runaway-train-1985.html
あんまり書き足すこともないか。 相変わらずおもしろかったわ。
例えば、”Mad Max: Fury Road”とはどう違うのだろうか、描かれた世界の過剰にぶっ壊れたようなとこは案外遠くないと思うのだが、Mad Maxほどの熱狂を呼ばなかったのはなんでなのか。
失敗作を失敗作足らしめるものっていったい何なのだろう、とか思う。
みんな笑うのは簡単だけど、ゴーランさんはこの映画への客の反応見て死にたくなったというのだから。
失敗に学べ、とかそういうことではなくて、映画って生もの・ライブだよねえ、と昨日入手した鈍器のような「サミュエル・フラー自伝」をぱらぱらしながら思う。 ゴーランにしてもフラーにしても、別に今蘇ったわけではなくて、ずっとそこにいたわけだし。でもそれがここにこうして現れる、現れるべくして、みたいなふうに。
こういうのはとにかく見ることだ。損得じゃないの。
12.13.2015
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。