14日の晩、”Altman”のあと、そのまま新宿でみました。
なにがなんでも、ていうよりは、見とかないと、つきあっておかないと、程度で。
こういうのもまた群像劇だと思うのだが、Altman先生が見たらなんていうだろうかしら。
前作で迷路を抜けだして生き残ったThomasとMinhoとTeresaとそのた一行はWICKEDていう組織の施設に保護されてなかなか手厚いケアを受けて、そこには同じように他の迷路をサバイブしてきたらしい若者たちがいっぱいいて、彼らはリスト上で名前を呼ばれて順番にどこかに連れていかれる。
その様子が怪しくて、更に施設内で変なものを見てしまったThomasは、そこを抜け出すことにして、みんなでえい! って施設の外に出てみるとそこは砂漠とか都市の残骸とか廃墟とか、さらにそこにはかつて人間だったらしいゾンビみたいなのがうようよいて、襲ってくるのではらはらどきどきで、唯一の希望はWICKEDでもなく化け物でもなく、彼らと同じ意思や希望をもって戦っている人類なの。
前作には明示的な、誰が見たって迷路があったわけだが、こっちのは柵や囲いがないだけの、誰が、なにが敵か味方かもわからない迷路迷宮であることは変わりなくて、人生とは現実とはそういうものなのだよがんばりたまえ(ひとごと)、なかんじが全体に漂う。
Thomasとかの幼少期の記憶は断片的で、だからあるべき状態、還るべきスイートホームなホームがない状態がその迷路感、錯綜感を加速して、これじゃあんまかわいそうとか言えないよね、というあたりが賛否の別れるところかも。 走って逃げて戦って少し恋もしそうで友情もあるし、めいっぱい青春してるんだからそれでいいんじゃないの(ひとごと)、とか。
今作はどことなく「帝国の逆襲」的な終り方をしてて、まだ続きがあるようなのであんま書けないけど、ここまで巨大グモ → ゾンビときたので次はなにかしら? 熊、じゃないよね。 まさか。
でも次も見るから。
12.06.2015
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