外は21F(マイナス5℃)で雪がぴうぴう舞っててしぬかとおもった。 ありえない。
日曜日は起きたら昨晩から続いている雨でぐしゃぐしゃで、でも洗濯おわった頃には雨はけっこう止んでいる気がした。 どっちみち食料は調達せねばならないので、外にでて、いくつか宿題を片付ける。
"Leonardo's Last Supper: A Vision by Peter Greenaway"
Park Avenue Armoryていう、Park Ave沿いに古くからある倉庫というか体育館みたいなスペースでやってる展示、というかイベントというか。
Peter GreenawayのDirectionでダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をデジタル・マルチメディアフォーマットで多面的に構成しなおすというもの。 彼は世界の古典絵画10点をシリーズでやろうとしてて、これは米国での最初の展示、だそうな。
ギャラリーみたいに中に入っていって各自勝手にふらーっと観ておわり、ではなく、一回のショーが45分間、上映時間は1時間単位で区切られていた。 見たのは2時の回。 お代は$15。
ここは普段Antique Fairとか、たまにライブとかもやっている(たしかRufusもやってた)とこで、古い建物なので天井はやたら高くて、その高さをめいっぱい使ってプロジェクタ下げてて、区切られてる部屋はふたつ。
最初に案内された部屋がメインのとこで、プロジェクションは前後左右とぶらさがった布と床と、幕の向こうにもなんか映っていて、はじまってから数えてみたら投影されているイメージは全部で10パターンくらいあった。首がいくつあっても足らねえ。
音は当然クリアなマルチサラウンドで、水音羽音にクラシック音楽。
最初がイタリアの街とかルネサンス芸術のざーっとした紹介、びばイタリー!みたいなかんじで、ナレーションはなくて、あくまでいろんなイメージをばりばり速射砲散弾銃でばらまいて、ね、すごいでしょ? みたいな。
文化庁(まだあるんだっけ?)とかNHKとか電通とかが見たら泣いて喜びそうな代物、といったらわかりやすいか。 サブリミナルだって、かんたんにできるよこれ。
その紹介の後にパート2で別の部屋に移って、そこで「最後の晩餐」のプレゼンテーション。
絵が置かれているSanta Maria delle Grazieの食堂内部を再現していて、部屋のまんなかにはテーブルと椅子、お皿が立体でつくられている。
リアル食べ物も置いてくれたらうれしかったのに。 たまにワインのかわりにバルサミコが入ってて、あんたはずれ、とか。
このパートもナレーションはなくて、「晩餐」の絵の各要素をトラックに分離分解して、リミッターかけたりディレイかけたり、要は音楽のRemixとおなじことをこの古典でもやってみました、と。 手だけ、シルエットだけ、血が流れたり、上から見たり、複数の人物のみを浮かびあがらせたり。 これがだいたい20分間。
それでわかるのは、この絵の構成や陰影が、いかに立体での再構成にも耐えうる正確かつ緻密なタッチの上に成りたっているのか、ということとかー。
でもそんなの「んで、それで?」ていう話よね。
そのあとで、また最初の部屋に移って、こんどはナレーションつきでPaolo Veroneseの"The Wedding at Cana" (1563)の解析。 現在ルーブルにあるこの絵は、1797年にフランス(ナポレオン)に略奪されるまではベネツィアにあったの。
「晩餐」の席での人間模様を描くことでキリストを中心とした当時の謀議謀略策略などなどをくっきりと浮かびあがらせてくれる、という点で、この絵は「最後の晩餐」とおなじように実にいろんなことを語っているのであるが、ナレーションを聞いているうちにこれ、大学の美術史でやったのをおもいだした。
「婚礼の席を描いたこの絵には、おかしなところがいっぱいあるのです。それはなんでしょ?」とひとりひとり順番にあてていったのでしたね? ラブ先生。
そんなむかしむかしからある話なので、内容としては解っていることを補助線を引いたり人物に番号ふったりして判り易く解き明かしていくだけの。
これもなんか、NHKだよなあ、とおもった。
そういうのがいけないとか言うつもりはないけど、こんなのを何百回再生したところでちゃんと美術にむきあう目、みたいのは養われないとおもう。 むきあう目、というのは、絵の正しい解釈や講釈、鑑定ができる、ということではなく、その絵が光として放つ美の驚異に的確に反応して自身の瞳孔を思いっきり開くことができる力、というか。
これって今後デジタルの精度が肉眼のそれをどれだけ超えようが、マルチメディアを使ってそれらのアーカイブに瞬時にアクセスできるようになろうが、そういうのとは関係ないとおもう。
そういうの経由で何百枚の絵や何千という解釈に触れようと、例えば吉田喜重の「美の美」が教えてくれることやベンヤミンやメルロ=ポンティの絵画論が示してくれることの大切さには届かないし、それよりもなによりも、肉眼でほんもんの絵の前に立つことのほうがはるかに重要だし、必要だとおもう。
設備規模からすれば、$15という値段は、まあ適正だったかも。
日本だと代理店や協賛がいっぱい入って、¥3000かな。 しかもぺちゃくちゃやかましい大量のおばさんつき。
12.14.2010
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