火曜日の晩、Joanna NewsomのCarnegie Hall。 みごとにSold Outしました。
町の公民館(ライブハウス)とかで発表会(ライブ)やっていた彼女が、みんなで大切に見守ってきた彼女が、ついにカーネギーホールにまでいっちゃったよ。 こりゃ家族親戚一同で駆けつけるしかないよね(いそいそ)、というかんじの聴衆でびっちり埋まっていた。
SSW聴くひと、ロック聴くひと、ケルティック聴くひと、クラシック聴くひと、文芸系、老いも若いもいりまじり。全体の括りとしては、とりあえず文系、としかいいようがないかんじ。
前座の最初はバックでパーカッションを叩いているNeal Morganさん。 ひとり棒立ちでアカペラで朗々と歌って、太鼓をどこどこやりながら鼻歌みたいに歌って、そんなにうまいとおも思えないのだが、カーネギーのステージでひとりで歌うことに全然動じていない飄飄としたところがなんだかおかしい。
続いて、これもバックでギターとかバンジョーとかリコーダーとか、あと、新譜でも全体のアレンジをやっていて、今回のライブでも見事な新旧のライブ用アレンジを手掛けたRyan Francesconi さん。
歌なしのアコギインストのみ。 ギターなのにハープみたいな音で緻密な網をぬいぬい。すんごく気持ちいかったので、意識うしなった。
前座のあと、30分くらいながーい調律の時間がはいって、出てきたのは9:15くらい。
せっかくのカーネギーでドレスなのに、いつものように、笑って手をふりながら小走りで出てくる。そこだけみてると お笑いのライブみたいな。
でも、座ってハープを抱えて、歌いはじめると、空気がぞわぞわっと変わる。
この変わり具合もいつものことなのだが、場所が場所だけにより痛快なかんじはした。
バンドは前座の2名に加えて、トロンボーンとか口琴他の管楽器1、バイオリン2、の計5名が彼女の背後を円形に囲む。 あとはハープの後ろにピアノ。 今回はピアノも4曲くらいで弾いていました。
音数が増えた、ということよりも、アレンジがすばらしかったのだと思うが、とにかくハープの縦糸にこまこま丁寧に横糸を通し、ふんわりと空飛ぶ絨毯にしあげ、その絨毯に乗って彼女の声は自在に、ドーム状のてっぺんまで飛んでくる、そういう仕立てになっていた。
これまではどちらかというと1stの頃の室内楽寄りのトイ・ポップぽく捉えられがちだった彼女の音が、”Ys”以降で狙っていたと思われるスケールのでかい音像に、その野望と共にでっかく、でっかいままに再生される。
そしてなんといっても彼女の声。
時に高らかに突きぬけ、時に陰影自在にでっかい曲の光度と色彩をコントロールしていた。
要するに、これまでのキャンディのように甘くぬけるとこはそのままに、全体としてものすごく堂々とした歌い手のオーラがあった。
まだわかんないけど、このままいくと、Joni Mitchellくらいのとこまで到達してしまうのではないだろうか。
フォークでもジャズでもロックでもない、アメリカのシンガーソングライターのどまんなかに。
どの曲も終わるたびに大喝采でしたが、本編ラストの3曲がすさまじかったです。
"Good Intentions Paving Company"は、ピアノとトロンボーンの掛けあいがスリリングでかっこよく、
"Emily"は原曲のアンサンブルの異様さと複雑さが少しも損なわれることなく、しかし怒涛の勢いでねじりこんで突っ走り、"Peach, Plum, Pear "はヴォーカルの突出具合がとんでもなく、na-na-na-na- のところなんか天井を突き破るかとおもいましたよ。
席がてっぺんのバルコニーだったのでまちがいないが、いちばーん上のひとまでみーんなが文句なしのスタンディングオベーションをおくっていました。 彼女の技量に感嘆した、というのもあるが、まずは音楽として、あまりにすばらしかった、ということでないか。
そんなふうに、出てくる音楽はめまいがするような超絶クオリティだったのに、曲間のしゃべりときたら、ここってカーネギーなのよね、うきゃー、みたいなふつうの娘っこのノリになるのがおかしかった。
あと、やや時間のかかる弦の調律中は質問タイムになっていて、みんな好き勝手に聞きたいことをなげるのだが、ホールにわんわん響くもんだからほとんどわからず。
この晩のライブはカーネギー・ホールの伝説になるね。
ま、カーネギーの伝説いうたら、そりゃしぬほどいっぱいあるわけであるが。
アンコールの”Colleen”が終わったとこで丁度11時でした。
というわけで4連休になりました。
11.25.2010
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