風が強くて冷たい水曜の晩、Brooklynでみました。
世界のいろんな地域の古今の名画を発掘して保存して広めよう、というthe World Cinema Foundationという団体があって(設立代表は、この日68歳の誕生日を迎えたMartin Scorseseさん)、いま、BAMのCinematekでここのSelectionによるいろんなの(いろんなの、としかいいようがない)、をやっている。
アジアのだと、キム・ギヨンの『下女』("The Housemaid")とか、エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』(”A Brighter Summer Day”)- 4時間版とか、
あとは、Fred Zinnemannが監督して写真家のPaul Strandが撮影した”The Wave (Redes)”(1936)とか。
そりゃ見たいけどね、体がいくつあってもたら….
そんななか、特集の目玉と言われていたのが、ブラジルのMário Peixotoによるサイレントの実験映画、”Limite” (1931)の完全修復版 - 120分。
Mário Peixotoが遺した唯一の監督作で、これまでSergei Eisenstein, Orson Welles, David Bowie, Caetano Veloso などなどを魅了してきた伝説のカルト作がWalter Sallesの監修のもと、修復を終えたのがついこないだの9月。
NY Timesが事前にわあわあ騒いでくれたおかげで、7時からの上映回はSold outで、9:30に追加上映がセットされた。 見たのは7時の回。
英文の解説はこちらを。
えー、こういう実験映画について筋などを云々するのはバカなので、見ませう、としか言うほかないのだが、映像は、なんだかいろいろすごかった。
これを21歳のときに撮った、というのがまず、しんじられない。
一応、小舟に乗って海を漂流している男1名、女2名が過去を振り返る、ような形式をとっている。 全員がなにかしらに絶望して自棄になっている。
ブラジルの、地の果てから切り取ってきたとしか思えない海や大地、その光と影。
極端なローアングルで膝下ばっかりとか、頭のてっぺんとか、ミシンとかボタンとかの接写、そんなのばっかり映して、集めてくるカメラ。
そして、俳優さんたちの顔と目つきが半端でなくすごい。どっから見つけてきたのか。
ミシンをかけるだけの映像がなんであんなに変にみえるのか。
タイトルの"Limite"は、この映画のばあい、「限界」というよりは「境界」の意味のほうがたぶん合っていて、海と陸の境目、舟と水の境目、髪と地肌の境目(髪のわけ目の直線)、なによりも男と女、ひととひと、生と死の境目を、ブラジル的な執拗さ過剰さでもって、しかしこういってよければスタイリッシュに追いかけていく。
監督はヨーロッパから戻って来てこの映画の製作にはいったというが、それにしても、というかそれだからこそ、というか、陰影の使い方の洗練されていること。
例えば、ほぼ同時代のブニュエルの「アンダルシアの犬」なんかよか思わせぶりな臭みみたいなのがなくて、堂々としていてかっこいい。
ブラジルの風景をみたり、音楽を聴いたりしたときにかんじる、ひゃーこりゃかなわん、みたいなかんじがここにもはっきりと。
音楽だと、Egberto Gismonti あたりかなあ。 すごい変なかんじだけど、ブラジルローカルでもなくて、軽々と境界を超えててユニバーサルで、でもやっぱし変か、みたいな。
ああ、この監督に犯罪映画撮らせたら、どんなすごいものができただろうか、とつい夢想してしまう。
日本でも上映されることをお祈り。
今朝、Charlotteに着いた。
飛行機に乗る前に、ねんのため(なにがねんのためだ)、"Charlotte Sometimes"を聴いてみたが、かえってあれこれ思いだしてどんよりしてしまった。
紅葉がとってもきれいで、なかなか静かなところです。
あしたの夕方にもどります。
11.19.2010
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