11.21.2010

[film] Love Streams (1984)

金曜日夕方、CharlotteからLa Gardiaの空港に着いたのが6:20頃、もし早く着くことができて渋滞がなければ、BAMでエドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』4時間版に突撃したかったのだが、ありえない渋滞に巻きこまれ、橋を渡るのに約1時間、げろげろに車酔いして部屋にたどり着いたのが7:50くらいだった。

しかたがないので、9:00から、Lincoln CenterでJohn Cassavetesの"Love Streams"を観る。

19日から"The Cannon Films Canon"という特集がはじまったのである。
そう、80年代、チャック・ノリスからゴダールまで、当時日本にいた我々にはなにがどうなっているのかさっぱりわからないかたちであの時代の映画業界を駆け抜けた謎のイスラエル資本の映画製作会社の全貌(というのは無理なのでその一部)を紹介する、という試み。 ぜんぶみたい。

Village Voiceの紹介記事はこちら
"For Cannon Films, Chuck Norris + Godard = Success"  と。

そして、このCassavetesの遺作もCannonの製作なのだった。

この映画は本当に本当に本当にだいすきで、もう4〜5回は見ている。
最後に見たのは、たしか2007年くらい、日仏のフランス語字幕付きのだった。

こんなにめちゃくちゃででたらめで危うくて、でも切なく真剣に、愛と教育とアートと文学と音楽とステージとダンスの本質どまんなかを捉えた映画があるだろうか。(いや、ない)

欠点だらけの映画だとおもう。
筋はあってないようなもので、男(Cassavetes本人)は何度か離婚しているお金持ちの作家らしいが、何をやっているのか、何をやりたいのかよくわからない。途中から出てくる彼の姉(そもそも本当に姉なのかどうだか)も、離婚して娘からも疎まれ、現実と妄想がごっちゃになり、やはりなにをやっているのかわからない。
要は狂ったひとのNarrativeが全体をドライブしている。 これが141分続く。

そして、その欠点ゆえに我々はこの映画を愛する。

この世界には愛と別れしかない。そして愛はとどまることなく流れていく。
これしか言っていない。
愛と別れが我々をぼろぼろにし、同時に我々の生を照らす、そのありようのみが綴られている。


だから、Cassavetesが殴られたり階段から落ちたりして血まみれになり、正装のシャツを口紅だか血だかで汚しているのを見るたびに、Gena Rowlandsがパニックを起こして床に臥せってしまったり、その横に犬のJimがいるのを見るたびに、なんだか胸が張り裂けそうになる。

そして、こんなとんでもないもんを遺してこの世からいなくなってしまったJohn Cassavetesに、まったくもうあんたってひとは、と言うほかない。

あと、この映画で鳴る音楽とか、その鳴り方も含めてすばらしいの。

土曜日にCannonの親玉であり、この映画のプロデューサーであるYoram GlobusとMenahem Golanのトークがあって、そのなかでこの映画のことについても触れられたのでちょっと書いておく。

- Cassavetesのこの企画はメジャースタジオから全て断られて、最後の最後にCannonに持ちこまれた。

- 最初のラッシュは2時間15分あって、彼らプロデューサー側は、あと15分短くできないか、そしたらとってもコマーシャルなものになるから、と言って、Johnもやってみよう、と言った。
でもその後で、できたよ、と言われて行ってみると2時間40分になっていた...
最終版ができたあとで入院していたJohnから呼ばれ、カットできなくてごめん、て言われたのが最後で、その後彼は病院から戻ることはなかった...

Cannonがなかったら、この映画がこの世にでることはなかったのだな、と思うと更に切なくなるのだが、これもなんらかの愛が溢れて流れでた結果ということで。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。