日曜日の昼にもどりました。 NYに。
水曜日の晩にシアトルに着いて、そこからずうっと集団行動だったので逃げようがなくて、また逃げだす気力も特にはわかず、ずうっとホテル内に缶詰でした。
人が多いとしょうがないんだろうけどね、でもそれにしたって。
ゆいいつ、今回参加してくれた会社のオフィスにいって、その凍えるような屋上から、ほらほらあれが"Sleepless in Seattle"でトム・ハンクスが住んでたボート小屋だよ、とか言われてふうん、だったこととか。
でもそれいうなら、あの映画のクライマックスに出てくるビル、いま毎日眺めてるんですけど。
最後の望みだった土曜日の日中も、金曜の夕刻に突如仕掛けられた罠にはまって朝から打合せすることになってしまい、泥よりも苦くねっとりダークになり、金曜の晩、ホテルから2ブロック先のライブハウスでAverage White Bandがあるけどいかない?とアメリカ人に誘われ、AWBだったらぜんぜんOKなので行きます行かしてと返事をしたのだったが、夕食にごろんとでてきた血の味しかしない肉塊を食べて苦しい状態でちょっとだけ横になって気がついたら23時になっていたという。
というわけで土曜日の打合せは、とにかく早く終われ、終んなくてもいいから頼むから終わって、とやるきもくそもなくそればっかし念じ続け、けっか13時にはなんとか終ってくれて、ぐちまみれのランチがすんだところが15時だった。
晩ご飯は18時くらいにバーでボクシング観るから、とアメリカ人に言われていたので正味3時間。 絞りこむしかない。
また単独行動なんですね、と嫌味言われたけど、うるせえよ死ぬときはどうせひとりなんだからほっとけ。 とは言わない。
ホテルの前を走っているモノレールになんとしても乗りたかったので、それに乗って($2)ニードルのとこまで行って、その根っこ近辺にあるEMP(Experience Music Project)に。
MSをやめたおっさんが道楽でつくった音楽施設で、建物はFrank Gehry。
ま、クリーブランドにあるR&R Hall of Fame Museumみたいなもんかと思っていたのだが、あれよかぜんぜんましだった。
特集展示は、シアトル生まれのJimi Hendrixさんで、こういうとこでいつも思うのだがミュージシャンが着てた服とか壊れた(壊した)楽器とか展示してなにがおもしろいのか、と。 でも音と映像ががんがん流れているのでつい見てしまう。
これもよくあるロックの歴史コーナーも、ふんふんふん、程度だったのだが、最後のほうで80年代後半以降のシアトル~ポートランド周辺のシーンをちゃんとカバーしているのでえらいと思った。
Soundgardenの初期(Chris Cornell自筆の歌詞とか、よろこぶひといるのかな)からNirvanaはもちろん、Kill Rock StarsとかKとかRiot GRRRLまで丁寧に展示してある。
もちろん、安易に歴史に回収されない何かをめざしていたに違いないこれらの活動が、こんなような博物館的陳列棚のなか、大文字の歴史にするすると撚りあわされてしまうことについて、ちょっと複雑なかんじがしないでもなかったのだが、これもシアトルのバンドやレーベルのもつ、あの特有の暖かさのあらわれとして汲んであげるべき、なのだろうね。
あと、もういっこの特別展示の「宇宙空母ギャラクティカ」。最初の映画版(77年のStar Warsの直後に、同特撮担当だったジョン・ダイクストラが製作ということでものすごく期待したのだったが日本ではそんなでもなかった)しか知らないのだが、TVでずうっと続いてるよねこれ。
3階のSound Labのコーナーは、いろんな楽器、だけじゃなくてミキサーやエフェクターまで含めてあれこれ実演して遊べるの。スタジオブースみたいになってるとこもあって、これならいちんち遊んでいられる。結構混んでて時間もないのでちょっとだけパーカッションをぱかぽこやって離れる。
シアトルの子供たちはいいよな。
あとは友人とか家族一同でスタジオでジャムみたいなことやると、それをその場でCDとかDVDとかポスターに焼いてくれるやつ、に行列ができてた。
そりゃやるよね。プリクラの100倍豪華だもんね。
あと、すんごくでっかいスクリーンに時間毎にいろんな映像を流してて、ちょうどそのときはジミヘンのライブやってた。もうすこし粘るとメタリカのライブになるはずだったのだが、時間がないのであきらめた。
来年の4月からはこの展示がはじまります。既に異様に力が入っていそうなかんじ。
展示もののあとはお買いもの、ということでQueen Anne近辺のレコード屋を。
最初にSilver Platters、それからEasy Street Records。
どっちも平屋で、だだっぴろく、正直ゆうと、こわかった。
CDは眼中になくて、アナログしか狙っていなかったのだが、それにしたって、でっかくて深すぎて、途中で新譜系もあきらめ、それでもなお。
NYのレコード屋をお庭の池とするなら、こっちは湖みたいな。ネッシーとかでてくるの。 小雨が降っててとっても寒いし。
なに買ったのかはあまり書きませんけど、せっかく西に来たのでBeat Happeningとか、クリスマスなのでディラン・トーマスが子供向けにクリスマスの詩を朗読してるやつ”Child's Christmas in Wales, a story Fern Hill" とか。いちばん高かったのは、FugaziがSub Popで出した7inch ”Song #1” (1989)、かな。
値段のかんじは、うーん、よくわからじ。
日本よりは安いとおもうけど、東海岸とは品揃えの基本がぜんぜんちがう気がした。
あんまし追求する気も起こらないのだが。
西海岸にはこんなようなレコード屋がいったいあと何軒あるのだろうか。
べつに知りたかないけど。
あとはEasy Street Recordの反対側にある古本屋(よいお店)をのぞいて、ぎりぎりで買わなかったり。 あと、そのならびに"Obasan"ていう日本食屋があった。
スポーツバー(入り口で$10とられる)で見たボクシングは、ウェルター級の世界タイトルマッチで、フィリピンのひとvs.メキシコのひとで、店内はフィリピン応援組と思われるアジア系("Gran Torino"に出てきたわるい連中みたいに、ごっつくて強そうな)大勢と単に土曜の晩に殴り合いを見て血が騒ぎたいだけの、これもめちゃくちゃ怖そうなアフリカン・アメリカン(+ そのお連れの、これまた強烈なお姐さん)たち、のどっちかしかいなくて、ああこれ、きっとぜったい裏でばくちとかやってて、終ってからもめて銃撃戦になって全員しんじゃうんだ、この床が血で染まっちゃうんだもうおわりだせっかくレコード買ったのに、とおもった。
(ごめんなさいぜんぶ偏見です)
で、殴りあい自体は、これはこれで異様にやかましく盛りあがったのだった。
べつに本人達が殴りあいしたくてやっているのでなんも言いませんけど、子供のころ、あしたのジョーとか見せられてもどこが面白いのかぜんぜんわからなかったあの頃を少しだけ思いだし、でもふつうにスポーツ観戦くらいできる大人にはなっているのでパンチがあたるたびに「わあ」とか「あうち」とか、義理で言ってあげる。
でも疲れるばかりなので、やはりボクシングがあまり好きではないらしいもうひとりのアメリカ人とThe Go-BetweensとかLloyd ColeとかSqueezeとかのはなしをしてじみに盛りあがったりしてた。
殴りあいはフィリピンのひとが最初からずっと優勢で、でもメキシコのひとも顔ぐさぐさにされながらがんばって12Rまで続き、12Rが終ったのが21時40分くらい、銃撃戦を避けるため結果は聞かず振り返らずにさーっと店を出てホテルに向かい、荷物をひろって空港に向かいましたとさ。
飛行機は23:59発。ダラスに5:30について、そこで1.5時間待ち別便でNY着いたのは11時。
飛行機乗りこんだら機内誌の表紙がさっきのフィリピンのボクサーのひとだった・・・
戻ってきてからは、洗濯して昼寝して、晩にSfujan Stevensのライブにでる。
これがまた、想像をぜっするとんでもないものでしたの。
11.15.2010
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