4.22.2024

[film] Eno (2024)

4月20日、土曜日の晩、Barbican Centreで見ました。

この日はRecord Store Day 2024だったので朝早く起きようと思っていたのに起きて立ちあがったらよろけてクローゼットの扉に激突して流血はしなかったもののでっかいたんこぶを作り、半分やるきを失って、Rough Trade Eastに8:30に着いたらとんでもない行列だったので1時間並んで諦めて(昔は6:00に来ていたことを思いだした)、他にもついてないことまみれのしょんぼりだったのだが、晩のこれで救われた。

Brian EnoのドキュメンタリーのUKプレミアで、上映後にEnoと映画関係者とのQ&Aがある。

Barbicanに着いたところで会場に入るEnoさんを見たり(偶然)、有名な人もいっぱい来ていたようで確認できたところだと斜め後ろにPeter Gabriel氏がいて、だれにでもすぐわかる(キリンみたいだから)Thurston Mooreとかも。

監督はGary Hustwit – Dieter Ramsのドキュメンタリー”Rams” (2017)の音楽をEnoが担当してからの付きあいだそう。

上映前のイントロで、上映時間は約1時間半だが、これはGenerative Art作品なので今後同じバージョンのものが上映されることはない、と言われる。?? になるのだが100時間以上のEno自身の発言や関連するインタビューやライブやイベントのフッテージ映像、彼の作品をAIに読みこませてあって、それらをAIがランダム(ではないことが後でわかる)にジェネレートして見せてくれる、と。

で、このアーキテクチャを構築したBrendan Dawesと監督がスクリーンの前にあるなんかの機械(上映後のトークによると、ストックホルムの若者に作ってもらったそう、Sandanceでの上映時にはまだラップトップだったって)の起動ボタンを押して映画がはじまる。

というわけなので、このバージョンについて感想を書いても、これと同じバージョンのものが上映される可能性がそんなにないのだとしたら、どうしたものかー になる。(一般公開時にどうするか/どうやるかについてはまだ検討中、とのこと) 

こうして、池や川のある自宅近くを散策しながら寛いでいろんなことを話すEno、アートスクールの頃からRoxyに入って音楽活動を始めた頃から、Bowieとの共作のこと、80年代に過ごしたNYでのこと、Omnichord1台で作ったApolloの音楽のこと、などのクリップなんかが出てきて、場面が切り替わる時にはスクリプト画面が出てうにゃうにゃやっているので、なんかをGenerativeしているのだわ、というのはわかる。

上映後のトークで、クロノロジカルに纏められたドキュメンタリーは嫌いだしそういうのは作るつもりもなかった、そうで、時代は昔にいったり現代に来たりを散漫に(でもないのだが)繰り返していく。映像の中にも出てくるEnoとPeter Schmidtが1975年に作ったカード作品”Oblique Strategies” - カードを一枚ひくとインストラクションが出る – と同じように何が出てくるかはその時にならないとわからない。 今回の上映会の様子もどこかのタイミングでマテリアルとして加えられ、いつか上映されるかもしれない、など。

個々の中味についてあれこれ言ってもしょうがないのかも知れないが、ひとつだけ、”Discreet Music” (1975) の話から入って、EnoがBowie(の声)について語り、BowieがEnoについて語るところ – Enoってなにをやっているのかよくわからないんだ..とか - のところはなるほどなー、ってものすごく腑に落ちた。あと、客観的に見て- というのが「ない」ことは承知の上で、やはりRoxy MusicとFripp & EnoとCluster & Enoのところ、彼がプロデュースしたいろんなバンドたちについては余りに触れられていなさすぎではなかろうか、とか。あと、先のBowieのコメントの他ではEnoの活動について第三者が何かを述べたり位置づけしたり、ということはしていない。あくまでEnoによるEnoの総括が主 - “Taking Tiger Mountain (By Strategy)”のジャケットみたいな。

あと、あのラスト(だけ?)は決めてあったのではないか、と。

これを従来のドキュメンタリー映画作品と同列に並べて見てよいものか、については議論があるところだろうし、すべきだと思うけど、アート作品(or アートについてのアート作品)として、おもしろいことは確か。対象がEnoだから、というのはあるのだろうが。どうせだから見る側で上映時間の長さまで指定できればよいのに。3時間版とか。- できるはず。

上映後のQ&Aというよりトークがものすごくおもしろかった。

Eno自身からGenerative Artをつくっていく4つのステップが紹介され、これは技術的なるところも含めてこういうものであるとして、それでは従来の映画のEditorはいったい何をすることになるのか? - トークに参加していたEditorの人によると、コントロールフリークであるべき編集の仕事からするとものすごく難しく大変な作業だった、と。作業の流れとしては素材をある塊りで編集して、それをカテゴライズして食べさせて、ロードマップとかストーリーラインのようなものを作って食べさせて、AIとの間でそのやりとりや調整を何度も繰り返し、それでもアウトプットがどうなるのかの予測はつかない、と。

Enoが強調していたのは、すべてをAIのアルゴリズムに委ねてしまうことの脅威と危険性で、なぜならいまの世に出ているアルゴリズムの殆どはMuskとかZuckerbergのようなお金を儲けたい白人男性のために作られている - ソーシャルメディア上のComplexityは分断を作りやすく、分断(差別化)はお金を生むから。そうではなく、ComplexityからSimplicityの方に向かうストーリーを考えていかなければいけないのだ、と。(個人的にはSimplicityにもいろいろあるし、軽く潰されやすいので注意が必要だとは思うけど) ここは本当にそう - 勝手に埋め込まれているAIの怖さ - なんだよ、旧Twitterのいまの気持ちわるさを見てみ。

(アルゴリズムの白人男性優先バイアスについてはドキュメンタリー “Coded Bias” (2020)がわかりやすい)

2018年にBritish Libraryで行われた彼のレクチャー”Music for Installations”の時のメモを見ると、この時点で彼はすでにSimplicityとComplexityの話をしているのね。今回のドキュメンタリー用のネタでもなんでもなく。その時にも思ったけど、この人の自分でおもしろがって多少わからなくてもまず始めてしまうところも含めて、アーティストとしても教育者としても本当に理想の動きのできるひとだなあ、って。

この映画と一緒にツアーしてくれないかしらん。

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