4.25.2024

[film] L'ombre de Goya par Jean-Claude Carrière (2022)

4月16日、火曜日の晩、Curzon BloomsburyのDocHouseで見ました。

英語題は”Goya, Carrière and the Ghost of Buñuel”。監督はBoschのドキュメンタリー”El Bosco. El jardín de lossueños” (2016)などを手掛けたJosé Luis López-Linares。

Jean-Claude Carrière (1931-2021)がスペインのGoyaの生家やゆかりの地を訪ねたり、プラド美術館の前で個々の作品の前に立ったりしながら、自分の作品に決定的な影響を与えた - のはもちろんだがそれ以上に幽霊として取り憑いて離れないGoyaの世界について語っていく。彼にはMilos Forman監督によるフィクション – “Goya's Ghosts” (2006)があったりするのだが、そこには触れずに初めて絵の前に立ったときの驚きと共にひとつひとつ。 最初の方で出てくるのがプラド美術館にある“The Threshing Ground or Summer” (1786) -『脱穀場』で、ここにどれだけ多様で雑多なものが描かれているか、いかに構図としてすばらしいものか、描かれている人たちが、その階級も含めてそこで生々しく生きているのか、向こう側の世界、過去に向けた親密な目とともに語って、その目線が表面から想像の世界にまで降りてくると、少しづつLuis Buñuelが顔を出すようになる。このドキュメンタリーにCarrière自身がWriterとして関わっているのでこの辺の組み立ては十分に狙ったものなのだろう。彼の他にCarlos SauraやJulian Schnabelもコメントしたりするが、彼らは別になくてもよいかんじ。

Goyaの個々の作品と掘ればいくらでも出てくるその深さ – 映画のポスターになっている肖像画“The Black Duchess” (1797)から展開していく「指」のおもしろいこと – などについて語りながら、実は自分自身(の作品)について語ってしまっている – 相手がGoyaのような巨匠に対してそれが許されるのは限られた人だと思うのだが、ここではすべての語りが単なる絵画の解説の域を越えて、すんなりとこちらに入ってくる。まるでGoya自身が何かを言わんとしているかのように。

Carrièreはこれを撮りながらおそらく自身の死を十分に意識していて、でも、だからこそ作品やその土地を前にして自分の言葉でGoyaが見ていた何かを語りたかったのだと思う。その相手、向かう対象が一緒に仕事をしていったBuñuelではなくGoyaだった、というのは、それ自体がCarrière/Buñuel ぽいというか。

今度マドリッドに行ったらあの教会には行かねば。


John Singer Sargent: Fashion & Swagger (2024)

4月16日、火曜日の晩、↑のの前にCurzon Bloomsburyで見ました。最初にGoyaのチケットを取って、その前になんかやっていないか見たらこれがあったので、この晩は美術のお勉強映画2本立てで。

日本でも見られるのどうかは不明だが、Exhibition On Screen (EOS)というシリーズがあって、話題の展覧会とか画家とかテーマを取りあげて、英国だと配信で£4.99とかで見ることができる(映画館だと£6.99だったか)。そのシリーズの1本で、ここでも感想を書いたTate Britainでやっている展覧会 – “Sargent and Fashion” – 昨年ボストン美術館では”Fashioned by Sargent”のタイトルで開催された - を取りあげたもの。Tateのはすごくよい展示だったのでまた行きたいと思っている。

内容としてはキュレーターやいろんな専門家が展示の内容に沿ってJohn Singer Sargentの足取りを説明していくもので、日曜美術館あたりとはやはりレベルがぜんぜん。

Sargantの絵に出てくる実在の人物 - 多くはスポンサーのお金持ちやセレブ – Swagger – こちらに向かって見得を切ってくる人々のポーズや表情、目線や指先の仕草の独特さ、ジェンダー(クイアー)アイデンティティ、そんな彼らひとりひとりの身体を覆う、その上に被さったり覆ったりする布や衣服の、ブラッシュ・ストロークの調味料の怪しさと不思議なかんじ – それがどんなふうにその人物の威厳や特別さ、ずっと残るその人の像を引きだすことに成功しているか、について、例えば写真家のTim Walkerが熱く語って、彼がTilda Swintonをモデルに撮ったポートレートなども参照される。

そして絵画の横に彼らが纏っていた衣装(のほんもの、それに近いもの)が並べられることで、その魔法の効力と不思議さを改めて思い知ることになるの。画家以前のスタイリングやコーディネーションのようなところで、既にとんでもなく見る、というより引き出す力があったのではないか、と。

制作当時にしては規格外でスキャンダラスに見えるものもあったみたいだけど、今見ると割とふつうに入ってきて、かっこよいったらないしー。

今週末はTate Modernで始まった”EXPRESSIONISTS KANDINSKY, MÜNTER AND THE BLUE RIDER”にいくんだー。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。