10.01.2023

[music] PJ Harvey

9月28日、木曜日の晩、Roundhouseで見ました。新譜 - “I Inside the Old Year Dying”のツアー、ここでの2 daysの1日め。

ここにはお仕事で来ているので放課後といえども自由勝手に動きまわることは許されない – 勿論ちゃんと言えば許されるに決まっているのだが、にっぽん人会社の海外拠点における振る舞いというのはばっかみたいにいろんな成分が積み重ね塗り固められてできているので、そこに抵抗したり小細工したりはただの無駄で面倒で郷に入ればで、されるがままに任せるのがぜんぶうまくいく。ただ、向こうが忙しいのでごめんなさいになっている時は別で、いえいえどうぞお気遣いなくー が成立すればこっちのもん。

ただそれは現地に着いてからの勝負となるので、これみたいに前売り時点であっという間にSold Outしていたらどうすることもできない、ゆえにほぼ諦めていた。けどじりじりと観測していたら2日前に何枚かリリースされて、2階の椅子席 – この会場は基本スタンディング - が出ていたので買った。(もういっこ、ちょうどThe Nationalも来ていたので、こちらも横目で眺めつつ)

Pollyを見るのは2017年の6月にKings Placeであった詩の朗読会(+サイン会)以来で、その時に最近はずっと詩を書いたり読んだりしている、と語っていたその成果が(おそらく)物語詩集”Orlam” (2022) として編まれて、9歳の少女Ira-Abel Rawlesの目に映った畏れと驚異に満ちた田舎の1年間をドーセット地方の言葉で綴ったその世界を音楽へと敷延したのが新譜なのだとすれば、こんなの見に行ったほうがよいに決まっている。

前座なし、客入れで掛かる音楽もなく、開始の20時に向けてうっすら流れていたホワイトノイズのような環境音が大きくなっていき、そこに乾いた学校のベルの音が重なって、白の衣装を着たメンバー4人と袖なしの白のロングを着た彼女が現れて、上からの光線のようなスポットに包まれて静かに歌いだす。ステージの端にはお茶のテーブルがあって、花瓶には新譜のジャケットにもあった素っ気ない枝がいっぽん。この辺、前回- 2016-17年の”The Hope Six Demolition Project”のやや粗っぽい墨版画のイメージとはぜんぜん違うのだが、どっちにしても無理して作りこんだかんじはゼロ。

バンドはいつものJohn ParishとドラムスのJean-Marc Buttyが中心にいて、他のふたりはいろんな楽器をとっかえひっかえ彼女の声に寄り添い、どんなに静かで穏やかでもエッジが緩むことはなく、滑らかというよりはきめ細かな糸を紡いで束ねていくその工程が目に見える、見せようとするエナジーに満ちている。 照明も背後の壁紙の目地や色も曲によって細やかにその表情を変えていって、Pollyがギターを持たない時のダンス手前の腕や影の動きにも過剰さはなく詩とともに放出される世界とひとつになっていて、いくらでも見ていられる。 歌声を張りあげたりシャウトしたりすることはないのに、あるトーンをもって世界に立ち向かうドーセットの少女の顔と声がこちらにやって来る。

最初のパートは新譜の12曲を全て通しで - 途中で新譜にも参加していたColin Morganがゲストで参加(..Ben Whishawじゃなかった)し、インタールードではPolly以外のメンバーが真ん中に並んで立って歌って、そこから後半に入ると昔のレパートリー中心となる。

彼女のライブを最初に見たのは”To Bring You My Love” (1995)の時のBeacon Theatreので、そのあと、”Stories from the City, Stories from the Sea” (2000)の時のもNYで見て(この6日後に911が..)、”Uh Huh Her“(2004)のも見て、John Parishとの”A Woman a Man Walked By” (2009)の時のライブも見て、渡英の直前にオーチャードホールで前作のライブも見て、結構追って見てきたつもりなのだが、彼女のライブって、ほんとにぜんぶ違って、ぜんぶ違うので昔の曲はどれも初めて聴いたような生々しさで耳を触ってくる。今回だと”Man-Size” – “Dress” – “Down by the Water”あたりの流れがすばらしくよくて、”Man-Size”のカンカンした冷たい太鼓の鳴りが”Down by the Water”のうねりのなかに溺れて沈んでいくようなとことか、たまんない。

あと、新譜の世界に近いところにあるのか、”Angelene”や”The Desperate Kingdom of Love”の湿り気、最後にやった”White Chalk”の世を突き離して眺めているようなかんじも、これらの小道を歩いてさっきの世界にたどり着いたことが見渡せるセットになっているのだなー。


久々のロンドンの週末となったが、懐かしいもくそもなく、地下鉄とバスで美術館とシアターの間をあっち行ったりこっち来たりするだけで終わってしまった。このちっとも変わらないかんじはなんなのか。

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