10.23.2023

[film] James Benning

イメージフォーラムで行われた特集『ジェイムズ・ベニング 2023 アメリカ/時間/風景』から10/7, 9, 11で6本(全8本のうち。”RR”は昔みていた)見ました。

例えば、アメリカ合衆国を撮る、それを写真ではなく映画用のフィルムで撮ろうとなったとき、どんなふうに撮っていくことになるのだろうか? “The United States of America” (1975)や”RR” (2007)のように車に乗った自分が動いていく軌跡を撮る、あるいは自分の前を通り過ぎていく列車を撮る - 写真ではなく、やや高速のスライドショー、というよりある数分間のレンジでの音も含めたその場所や土地の光や音の現れ方、みたいのを捕まえてみること。そこには見る側/見られる側の意図や思惑もあるのだろうが、まずはその風景/ランドスケープ or アメリカ - でもなんでもよいけど、それってそもそもなんでそんなふうに映りこんでくるのか? (What)

そしてそんなふうな風景が目の前にある/いる っていうとき、それはどれくらいの確かさで「ある」って言えるものなのか? それが、いまの自分のまえにあって多少の風や光や天気に揺らされながら、自分の側も同様の不確かさやなんらかの意思や意識や歴史的ななんかなどを携えてカメラを置いてその傍に立つことのありえない、驚異と共にあるかんじ - 更にそうやって撮られたものがはるか彼方の国の映画館の暗がりの中で映写されて、1時間くらい映しだされてそれを縁もゆかりもなさそうな国の「観客」が見る、と。そんなの見てなんになる? の極北、というか。 (Why)

そこには勿論、彼がその風景を撮った政治的なのも含めた意図や構想があり、それが実際の構図や構造として現れて、その繋がりや一貫性が彼を「実験映画」作家たらしめているのだが、そんなことを頭に入れておかなくてもなんだかおもしろいの(後で知ったら二度おいしい)。

撮られた映像(の並び)に全てをこめる.. ではなく、撮られた映像と現時点のありようを結ぶ/結び目が見えるようにしておく – その「現時点」は当然人によってばらばらで構わないし、というほったらかしにしておく風通しのよさ、もある。

James Benningの映画を見ている1時間〜2時間の間というのは彼の映画のなかで吹きまくる風と同じように、こんなふうにいろんな問いが右から左からぶつかってきて普通に景色を眺めるのの数倍のおかしなことが頭の中では起こる(当人比) - ので見る。 デートにはたぶん向かない。


Allensworth (2022)


現時点での最新作。Allensworthは1908年にカリフォルニア州で最初に作られたアフリカン・アメリカンによって統治された自治体があった土地で、そこの1月から12月までの景色を寒そうな荒野から始まって寂しく荒れた墓地まで、5分間 x 12ヶ月で。

途中、8月に公民権運動最中のElizabeth Eckfordがたったひとりで学校に着ていった服(のレプリカ)を着た女生徒がLucille Cliftonの詩を読んだり、Nina Simoneの”Blackbird”やLead Bellyの”In the Pines”が流れたりする。現在の地点から見たかつて何かが起こっていた土地の記憶、とはどんなふうに映像として残されるべきなのか、という考察。


11 X 4 (1977)

タイトルは印画紙のサイズで、1分間のが66のショット、このスタイルで撮りはじめた最初の頃ので、空港とかホテルとか、絵画的なプレゼンスとの対比でなにをどんなふうに映しだすことができるのかについて、まだ散文調 - スケッチ風に並べているような。 Bob Dylanの”Black Diamond Bay” (1976) が2回流れる。


El Valley Centro (1999) ~ Los (2001) ~ Sogobi (2002)

この3本で、The California Trilogyをなす。どれも2分半 x 35ショットの90分で、各作品のエンディングの景色は続く作品のオープニングのそれに繋がっている。

“El Valley Centro”は水源とか農地とか、それらの「供給」の源が既に大企業に囲われた政治経済の景色と化している様を、”Los”はそれらの恵みを受けて、消費と共に広がった都会のイメージを、”Sogobi” - ネイティブアメリカンの言葉で「大地」 - は、改めて振り返る形でそもそものカリフォルニアの土地がどんなだったのか、を示す。よいわるいとかではなく、西海岸… とか。

各ショット2分半、というのがなんか絶妙なサイズで、電車の一駅分くらいの時間が経つと車窓の景色が切り替わっていく – もちろん、それでよいのか? ずっとこれの繰り返しじゃないか? は問われるべき(誰にたいして?)。


Casting a Glance (2007)

1970年4月、ユタ州グレートソルト湖北東部にRobert Smithsonが作成したランド・アート作品”Spiral Jetty”の様子を70年代から00年代まで16回に渡って撮って繋いだもの。水位が高くなって水没しているとき、現れて犬や人が歩いているとき、天気のよいときわるいとき、近くから遠くから、廃船のようだったり古生物の化石のように見えたり、四季が変わっても世紀が変わってもそれでもずっとそこにあって、一見すると自然の一部になってしまったかのような、シダの螺旋のような人工物 – おもしろいなー。

唐突にGram Parsons & Emmylou Harrisの“Love Hurts”が聞こえてきたり。


今回紹介されたのは彼の膨大なフィルモグラフィーのほんの一部でしかないので、もっと見たい - しかないわ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。