10月1日、日曜日のお昼、BFI IMAXで見ました。
英語題は”Floating Weeds” - これでわかるのかしら? はっぱ取引の話と思われないかしら?
BFIではロンドンを発った4日の晩からLondon Film Festival 2023が始まって、ちょうどその晩にかの地を発ったので、ちぇ、しかない。滞在していた間、ここではずっと小津の生誕120周年の特集とか深田晃司とかをやっていて、なんかついてないなー、って文句を言ってもしょうがないので見たいのを探して見る。
こんなのお客入るのかしら? と思ったら客席は結構埋まっていてびっくり。日曜の昼なのに。
イントロでBFIのキュレーターのIan Haydn Smith氏が少し話をした。これは小津の6本あるカラーフィルムのうちの3本目で、アグファカラーの赤はもちろん、この作品については黄色も印象的であると。50-60年代のカラー作品のなかで必ず金字塔的に挙げられるアントニオーニの”Red Desert” (1964)と比べても遜色ないし、時代と照らし合わせて小津のカラー作品はもっと研究されるべきって - その通りよね。
IMAXの大画面だと小津はどうか、については、もうびっくり、驚異しかない。巨大化した鴈治郎がのしのし歩いてきたり京マチ子や杉村春子や若尾文子がこちらに向かってなんか言ったりする、それだけで背筋が伸びてありがたやー になるよ。
暑い夏、うだるような港町に旅回りの一座が着いてちんどん屋が路地をうねうねしてビラをまいてからいろんな四角や格子や箱がクレーの絵のような強さと的確さでくっきりと迫ってくる。 ざあざあ針金のように垂直に落ちてくる大雨のなか、軒先の中村鴈治郎と京マチ子が檻を挟んで獣(猛獣)のように向かい合ってせめぎ合うシーンの闇と光のとてつもない迫力(ほんとにものすごい)とか。こちらに寄せてくる暑さとクールダウンさせる赤と黒の四角の対照もおもしろくて – まあなにが出ても見えてもぞくぞくしておもしろい。TIFFの小津特集でもこういうのやればいいのに - まだ今年のプログラム見てないけど昨年の田中絹代監督特集を平日の昼間にやられたのでここの企画には一切、金輪際期待しないの(怒)。
一座が着いて公演を始めても客の入りはさっぱりなので、団員みんなもやるきを失っていき、芸者のいる梅廼家とか床屋の小川軒に行ったりするものの誰もが狙いをはずしたりはずれたりぱっとしなくて、でも中村鴈治郎だけは楽しそうに毎日ひょうひょうと出て行って、杉村春子と川口浩の居酒屋に入り浸って幸せそう。川口浩にはおじさんと呼ばせて内緒にしているが、昔に杉村春子に生ませた実子で、怪しいと思った妻の京マチ子が昔からいる人に聞いてみるとやっぱりそうで、頭にきたから一座の若尾文子に川口浩を誘ってみ、ってやらせてみたら若いふたりは簡単に火がついて本気になってしまい、やがてその事情に気づいた鴈治郎は怒り狂うのだが、狂いすぎてなにもかも破壊しつくして、さらについてないことに一座の金を持ち逃げされてもう解散か.. って駅に向かうと同じように行き場を失った京マチ子が…
バックステージものにしては芝居の話もそれに対する情熱もほぼゼロで、年取って癇癪もちになって、ぶち切れて家族を壊して仕事も失って、っていう老いた役者のかわいそう、というより身からサビ、自業自得の破綻話で、同情のしようがなさすぎてしょんぼりしすぎで、ふっ、となんだか元気になってしまうやつ - ラストのふたりとおなじか。
とくに女性の着物と帯の模様とかデザインがほんとクールで素敵で、暑さのなかでほんと気持ちよさそうにあの布を纏って着こなしていて、若いふたりのようにすーっと吸い寄せられるように寄っていって肩に手を回してキスしたくなるのもわかるの。
しかし鴈治郎の癇癪老人って、ここから60年経っているのにぜんぜん古くないな(ほめてない)。いまだにあんな自分に甘々のくそじじい - 周囲もあれで悪いひとじゃないのよ、って甘やかす - がうようよ幅きかせてて、日本の戦後の失敗のひとつは鴈治郎型のくそじじい共を駆除できなかったことよね、って巨大化した彼をみながら思うのだった。
10.07.2023
[film] 浮草 (1959)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。