6月20日、日曜日の昼間、TOHOシネマズの新宿で見ました。
本来であれば、英国では昨年の3月30日に公開される予定で地下鉄の駅にもいっぱいポスターが貼ってあった。1年3カ月の間、Quiet Placeで生きることを課された果てにようやく見ることができて嬉しいな。 作/監督もメインのキャストも前作からそのまま。
前作の”A Quiet Place” (2018)には誰もの期待を超えたおもしろさがあった。音を出したらあっという間に殺されてしまう、というシンプルなルールにごく普通にいそうな家族を絡ませ、生死の境い目としての無音と有音のコントラストとその変わり目の恐怖を浮かびあがらせることに成功していた。
冒頭は”Day 1”- これが最初に起こった日の出来事を描いて、休日か週末、地元のグラウンドの野球大会でいろんな家族がみんなでわいわい楽しんでいて、まだパパのJohn Krasinskiも元気で、遠くの空にでっかい何かが光りながら落下していくのが見えて、これはなんかやばいかも、って車に戻ろうとしたところであいつらが襲いかかってきてパニックになる。
そこから前作の終わりに繋がって、もうパパはいなくてママのEvelyn (Emily Blunt), 耳の不自由な娘のRegan (Millicent Simmonds)、息子のMarcus (Noah Jupe)、ゆりかごにいる赤ん坊の4人で生き残るべく、遠くの山の合図が見えたところに歩いていったらそこにひとりで暮らす (Cillian Murphy) – 彼も冒頭の野球大会の客席にいて、でも彼の子供たちは… - と出会って、よそ者を受け容れたがらない彼と"Beyond the Sea"の曲を流し続けているラジオ局がある場所 - 海上の島 - に行くべし、というReganがぶつかって火の玉のReganがひとりで出かけようとするのと、赤ん坊用の酸素ボンベ – なにかあったときに密閉しておく – が必要となったEvelynと、二手に分かれたサバイバルチームと、赤ん坊とふたりで残された頼りないMarcusの3地点を切り替えて繋いだはらはらのドラマが展開していく。
あのエイリアンだか化け物だかは変わらずに音を立てるとどこからか(必ず背後から)現れて、でも迎え撃つ側も特定の周波をでかい音で浴びせて顔をのぞかせたところに銃弾をぶちこんで殺る、ていうところは用意できているので、やりとりは喰うか喰われるかの猛獣/怪獣狩りに近いかんじ。前作のなにをどうしたらよいのかわからない - 無音が有音に変わったとたんに露わになる金縛りの恐怖とは別の、オーソドックスなスリラーパニックになっていて、その点をつまんなくなった、という人はいるのかも。
あとは家族構成の絶妙さ – 聖母か、っていうくらい崇高に歯をくいしばるEvelynと、怖いものなしの気丈なReganと、あんた男の子なんだからしっかりなさいよ、って時代が時代なら100発くらい尻を叩かれまくる頼りなさ満点のMarcusの3人、そこにすべてを失って自棄になった素浪人のようなEmmettが絡む – そのまま昔の東映時代劇になってもおかしくなさそうな人物設定が、よいの。
冒頭の落下物は宇宙船だったのか隕石だったのか? あの化け物はそれを操縦してきたのかそれにくっついてきたのか? 何を食べているのか?生殖は?変異体は? などなどの謎はこの後のシリーズで明らかにされるのかもしれないけど、あいつら、造型からして掘ってもあまり深みがなさそうなところがなんかね。
コロナ禍での生活様式 - 情報の拡散はだいじ、生活必需品もだいじ、家の中で守るべきものは守れ - 破って騒いだら死ぬぞ - に偶然のようにフィットしている。対処方法もわかってきたけど、油断するとほうら - とかも。 でもヒトはどこまでも懲りないバカなのね。
日本の場合はウィルスというよりははっきりと人災だから、選挙でなんとかする。選挙だけは這ってでも、いけ。
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