6月14日、月曜日の夕方、ル・シネマで見ました。
原作はPaul Morandの『ヘカテと犬たち』Hécate et ses chiens(1954)、Daniel Schmid監督 - Renato Berta撮影、Daniel Schmidの生誕80周年で、デジタルリマスター版がリバイバルされる、と。
見るのは3回目くらいで、でもこういうのは何十回見たってよいの。恋愛とおなじで。
1942年、スイスのベルン、フランス大使館のパーティに出席した外交官のJulien (Bernard Giraudeau)が10年前に彼が駐在した北アフリカの植民地でのことを思い出すの。
怪しげでやばそうな人たちがうようよしてて危険そうな(実際に危険な)土地でも彼の前途は洋々で、先輩のJean Bouiseは彼を見込んでいろんな助言をくれるし、生活環境も悪くなさそうだし、そんなある日、アメリカ人の人妻Clothilde (Lauren Hutton)と出会って何度か会っているうちに身の上をほとんど話さないし本心も明かしてくれない謎めいた彼女に惹かれていく。
荒れた砂漠の地で彼が寂しさを感じていたのか、彼女のそっけなさがそれに油を注いでしまったのか、そういうのではない純正の運命とかスパークとかだったのか、ふたりは逢瀬を重ねるようになり、彼はどこにいってもなにをしていても彼女の姿を追い求めるか、彼女の姿を求めてどこにでも行くようになるか、発情した獣のようになり、仕事どころではなくなっていく。
やがて彼女が仲良くしていたIbrahimという子供にまで突撃して庇いようのない状態になってしまった彼はシベリアに左遷されて..
ストーリーの表面はこんなもので、まじめな駐在外交官のひとり勝手に墜ちてしまった(よくある)恋の悲劇(彼にとっては)、程度なのだが、これを砂漠の砂の間に散っていく火花みたいに、すばらしくゴージャスに切なく散る(まったく意味のない)恋の、生のドラマとして画面に映しだしてくれるので、それに浸っているだけでよいの。
有名なバルコニーでの、JulienがClothildeを背後から抱きしめるシーンのシンプルな、でもパーフェクトな三角形の構図とそこに立ち昇る官能のものすごいこと。 ふたりは誰にも見られることがない(はずの)上の階のバルコニーで、ふたり共カメラの方に向かって、たまらずに二本足で立ちあがった動物のように息と腕を絡ませて、その状態から向かい合うことも横になることもできずに縛りあって固まって、でも何かを掴まえようとするかのように蠢いて、そのぎりぎりした持続のなかにしかふたりはいない、そうやって生きるしかない、そんなような恋の。
彼には任期と任務があるし彼女には夫があるし、その状態を打ち壊してまで達成するほどの恋とは(少なくとも彼女の方は)考えていなかった - アメリカ人だし? それが北アフリカのこの土地ではなんで可能と、自分にはできると思えてしまったのか、彼はシベリアで顛末を反省するレポートとか書かされたのだろうか。
未開の植民地下に暮らす外交官の恋(未満)、というとMarguerite Durasの”India Song” (1975)を思い浮かべて、あの映画の中心にいたのは女性 - Delphine Seyrigで、赤を纏っていて(JulienはDiorの白)、砂漠ではなく湿地帯で、いろいろ対照的なのだが、Julienはあの映画で赤子のように泣き叫んでいたMichael Lonsdaleに近いのかも。 植民地においては、植民国のひとは好きなように、どれだけみっともない恋を曝しても自由、なのか。
絶頂(に近い状態)の持続、をオペラのような上昇と下降のなかに描くということにかけてDaniel Schmidってほんとによくてすごくて、今週末からアテネフランセ文化センターで始まる特集『再考―スイス映画の作家たち ダニエル・シュミット、アラン・タネール、フレディ・ムーラー』見ておきたいのだが、もんだいは体力とやる気だわ…
昨年はコロナで帰国できなくて受けられなかった人間ドックを2年ぶりに。久々に胃カメラでぶん回されて死にそうになって眠くてしょうもないのだが、妙に懐かしかったり。
6.21.2021
[film] Hécate (1982)
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