6.15.2021

[film] The Father (2020)

6月13日、日曜日の午後、ル・シネマで見ました。
上映前に下のドゥマゴでコーヒーを飲んでNADiff modernで本を眺めて、よくもわるくも変わらない「村」だよねえ、と思った。

Anthony Hopkinsが史上最年長でのオスカー主演男優賞を受賞した作品。Florian Zellerが自身の演劇作品”Le Père” (2012)を映画化したもので、彼の監督デビュー作となる。 認知症の父を介護する娘や家族のドラマ – というよりはホラーに近いかも。とても切ないやつ。

Ann (Olivia Colman)がロンドンの西(W9- Lauderdale Rdって見える)のフラットに戻ると父(Anthony Hopkins)がひとり音楽を聴いていて、ふたりの会話から父がケアラーの女性を脅して彼女が来てくれなくなったので、このフラットに来ていること、彼の腕時計を彼女が盗んだと思っていること、等と、Annは恋人とパリに暮らすことにしたこと、を告げられて、これらは父にとっては初耳のことばかりなのでやや混乱している。

翌日に帰宅したAnnは(映画を見る我々&父には)別の女性になっていて、パリに行く話なんてしていないというし、よく知らない男性のPaul (Rufus Sewell)が親しげに話しかけてくるし、こんな具合に見ていくとフラットの玄関やキッチンの調度も自分が住んでいたところとはなんだか様子が違うようだし、いったいこれはどういうことだ? になっていく。一人称のカメラと全体の様相がなんの段差も説明もなく - 一人称ってそういうもの - 繋がって流れていくので雰囲気としては不条理劇としか言いようがないのだが、父にはそれが我慢できない- その現実を受け容れなければならない理由を理解できない。だってこれまでと明らかに違うのだし、それをどう言ったらわかってもらえるのか?

元エンジニアの父は「父親」としてきちんと振る舞ってきたし、その下で子供たちも立派に育ってきたのだから今もこうして世話をしてくれるのだろうし、だから自分の理解や認識の土台が崩れているとは思わないし思いたくないし、だから第三者が偉そうになにかを言ったり誤りを正そうとしてくるのは耐えられないし。

でも、Annたちはそう思っていなくて、父は進行中の病気を患っていて、本人がそれを認めないというのもそこに含まれていて、自分たちも含めた誰かが面倒を見なくてはいけないものだ、と。こうして次のケアラーのLaura (Imogen Poots)が来ると父は少し機嫌がよくなって、彼女はAnnの妹のLucyに似ている、Lucyは最近来ないよね、というのだが、Lucyが事故で亡くなっていることすらも彼は憶えていない – このこともAnnにとってはとてもつらい。

互いにまったく交錯することのない - 理解しあうことのできない – でも確実にそこにあって終わらないそれぞれの苦しみをどうしたらいいのか、どこに向かえばよいのか、映画は答えを差しださないし差しだせない。そういうそれぞれの混乱と痛みだけが残って、それが何に起因するのかもよくわからなかったりする - 感覚のレベルでとても生々しくて、その状態が曝けだされたままで終わる。

ここを家族の間の出来事としてぽつんと置いておくのか、あるいは老いが暴きだす生のドラマとして見せるのか明確には示さないのだが、その底意地の悪さは - Anthony Hopkinsがきつかった、っていうのもわかる – なんかすごいな、って。Michael Hanekeなんかよか残酷かも。

去年見たホラー映画 “Relic” (2020)を少し思い出したり、その先で大島弓子の『8月に生まれる子供』とか、小津の『小早川家の秋』(1961)の万兵衛みたいにしてみてもおもしろかったかも、とか。

そうそう、父の日の割引きとかー?


そういえば、上映前の映画泥棒のCM、まだやっていたのでうんざりした。もうこれ10年以上やっているよね? 映画泥棒はちっとも減らないの? そうやってずっと同じフォーマットで(目をつむるので絵はわかんないけど)楽にお金を儲けて、上映前の気分を台無しにし続けてくれて、これやってる連中の方がよっぽど映画泥棒だわ、って改めて思った。みんなずっとあれでいいと思ってるんだ?

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