6.22.2021

[film] Letters Home (1986)

6月15日、火曜日の晩、MUBIで見ました。
6月6日のChantal Akermanの誕生日にあわせてリリースされたと思われる1本。まだこんなのがあったのね。

Sylvia Plath (1932 -1963)の書簡集 - “Letters Home: Correspondence 1950–1963” (1975)をRose Leiman Goldembergが舞台化した作品を映画化したもの - TV MovieとあるのでTV放映されたのかしら?
登場人物は母 - Aurelia Schober Plath (1906–1994)と娘 - Sylvia Plathのふたりだけ。Delphine Seyrigが母を、その実の姪Coralie Seyrigが娘を演じている。

原作となった書簡集、自分が持っているのは鈍器手前の結構分厚い本で、参照したり付き合わせしたいところいっぱいなのだが、このこは今段ボールに入って南のどこかの船に積まれてこっちに向かっている(はず)。はやくおいで。

冒頭、黒バックのでっかい白文字で、タイプライターのがちゃがちゃする音をバックに女性ふたりが童謡みたいなのを歌っている。字幕でSylviaの弟のWarren Plathとその妻Margaretへの謝辞、Ted Hughesにも。Sylviaから家族に宛てられた669通の手紙が元になった作品である、と。

真ん中に灯りがあって、はっきりと舞台とわかる空間に母とタイプをがちゃがちゃさせるSylviaがいて、ふたりはふつうの会話をするというよりは、Sylviaが書いた手紙を元に、Sylviaのメッセージに母が合いの手を入れたり、コメントを挟んだり、向かい合ったり近寄ったりカメラに向かったり、単純に手紙を読みあげる、というよりダイナミックな対話劇に近い(そう見える)ものになっている。母の言葉はSylviaの手紙の言葉をそのまま読みあげることもあれば、それに沿ってなにかを加えることもある。向かい合ってピンポンすることもあればそれぞれがカメラに向かって語ることもある。でも、母が言うことはSylviaには聞こえているものの、どこかしらSylviaの元には届いていないような。

オーストリアからアメリカに移民した2世だった母、ドイツ人だった父、その間に生まれて子供の頃から詩を書いて、アメリカ東海岸からイギリスに渡った娘、そのふたりの間を過ぎていった日々 - 学生時代の意気揚々としたSylvia, イギリス行き、Ted Hughesとの出会い〜結婚、子供ができて、溝が生まれて、絶望 〜 そして..   30歳で自殺した詩人の最後の13年間に母と娘の間でなされた、ひょっとしたら対話になったかもしれない、でもそこに届かずに潰えてしまったふたりのー。 

ふたりの会話のみと言っても、部屋のセットも照明も服装も気がつけば変わっているし、小道具もいろいろ出てくるし、背後の音もサイレンが聞こえたり鳥の声だったり波の音だったり、これらはひとりの - ふたりの近しい女性の言葉を聞く - 響かせることに徹している。そうやってどこまでも続いていくかに見えたやりとりが、1963年2月12日に…   最後のふたりのやりとり、短く繰り返される”NO”の痛み。 それに続けて母が朗読するSylviaの17歳 - 1949年11月13日の日記。 ここのところだけでもみんな見て、読んで、と強く思った。

もういっこ思ったのはChantal Akermanの遺作となった”No Home Movie” (2015)のこと。NYにいた彼女が母に向かって語りかけるビデオレターで、彼女はどれくらいこの作品のこと、Sylviaの手紙のことを意識したのかしなかったのか - 再見したいところ。

もし。 Jeanne Dielmanに娘がいたらこんな会話は成立しただろうか? というのも少し。


コロナで人が亡くなり続けているのに、とにかくあまりにバカバカしく腹立たしいことばかりやってくれて、こんな国とっくに諦めているしだいっきらいだし離れたいのだが、それでも反対するのは立ち直ってほしいとかまだがんばれば、とかそういうのではなくて、とにかくあの連中のやろうとしていることは人の道として許されてはならないって思うから。あれもこれも下品すぎ。

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