12日、土曜日の昼間、Curzon Victoria – 映画館で見ました。公開が始まったばかりなのに客は3人くらい。
Sally Potterの作・監督による新作で、彼女とElle Fanningが組んだ作品としては”Ginger & Rosa” (2012) - なんかなつかし - 以来となる。
窓のすぐ向こうに高架地下鉄(後で見たらN線だった)が走っているNY – Queensのアパートの一室で、昏睡状態のようになってベッドで動けなくなっているLeo (Javier Bardem)がいて、アラームをいくら鳴らしても起きないのでヘルパーの女性と娘のMolly (Elle Fanning)が部屋に駆けつける。認知症であるらしい彼の目はだいたい虚ろで、ほぼ喋ることもできないのだが、この日はMollyが仕事を半休して予約してあった歯医者と目医者に連れていく。
Mollyがどれだけなだめても言い聞かせても鈍い反応をするか大きな牛のように拒否するかしかないLeoだが、現在とは異なる時間と風景がふたつ、並行して出てくる。 ひとつはメキシコの田舎で、Dolores (Salma Hayek) - 後で彼の最初の妻であることがわかる - と一緒に行く行かないでやりあっている場面、もうひとつはギリシャの海辺の食堂で、そこにやってきたアメリカ人観光客と思われる女性ふたり組に構想中のストーリーについてコメントを求める場面(彼は作家らしい)。 彼の頭のなかで進行していくこれらが、過去実際に起こったことなのか、彼の願望を描いているのか、それを彼は後悔しているのかどうしたいと思っているのか一切不明なまま、これらの場面の進行が彼の現在形の病との闘いのなかで度々クローズアップされる – そして勿論、父の頭の中でそんなことが起こっているなんてMollyは知らない、知りようがない。
タクシーでようやく歯医者に連れてきて診察台に乗せてようやく診察して貰ってもLeoは失禁してしまい、仕方ないので替えのズボンを買いにCostcoの倉庫のようなところに連れて行っても店内で騒ぎを起こし、午後から会社に行くといっていたMollyはそれも難しくなって、今度は走行中のタクシーのドアを開けて落っこちて頭を切って.. あまりにでっかいし手に負えないので離婚している妻 – Mollyのママ(Laura Linney)にも来てもらうのだが、当然彼女はなんであたしが、みたいな顔しかしないし。
結局Mollyが担当していた大切な仕事は欠席したせいでロストして散々な一日になり、ようやくLeoを寝かしつけても、彼は深夜に裸足で外に出て行ってしまい..
介護の大変さを訴える、というより(それも勿論あるけど)、患者のなかでは表に出すことのできないなにかが渦を巻いていて、他者が知りようのないいろんな角度からの何重もの苦しみが彼/彼女を縛っている。そういうのをわかってあげて、というのではなく、それって我々の周りにいる「健常者」たちのとそんなに変わらないよね、という温度感と、ひとりひとりの頭の奥に仕舞われているこういうストーリーは共有しようがないものだろうけど、尊重されるべきものだし、内容はともかく少なくともそういうものが皮と骨の向こう側にある、というのを想像することはできるでしょ、と。
本作は同様の病を抱えて2013年に亡くなった監督の弟 - Nic Potter - Van der Graaf Generator/Peter Hammillのベーシスト - に捧げられているの。
Robert Frostの詩と関係あるのかしらと思ったが、あっちは”The Road Not Taken”なのだった。
誰がみたって「よい娘」を演じるElle Fanningは変わらず安定してよいのだが、とにかくJavier Bardemがすばらしくて、あの大きな頭蓋がいつ突然狂った牛のようになってしまうのか気が気ではない緊張がずっとあって、その辺も含めてすごいなー、って。
長さは85分、Sally Potterの前作の”The Party” (2017)も71分の結末が鮮やかな1本だった。
WilliamsburgのEggがクローズだって。焼け野原、本当にきりがない。
しょんぼりしていつもいくデリに行ったら栗が出ていた。もうそういう季節なんだねえ。
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