9.02.2020

[film] Fragil como o mundo (2002)

 8月22日、土曜日の晩、MUBIで見ました。
英語題は”Fragile as the World”。ポルトガルのRita Azevedo Gomes監督の作品。すばらしく濃厚な90分の詩だと思った。サイレント映画のような、どこをどう切っても絵画になって、とても21世紀に撮られた映画とは思えない。

冒頭とところどころ、森とか廃墟の爛れた色味のカラーがでてくる。それ以外はほぼモノクロと、カラーを脱色したようなモノクロと、画布が使い分けられているかんじ。

Vera (Maria Gonçalves)とJoão (Bruno Terra)の恋に落ちてしまったふたりのティーンがいて、道端の杭のところに手紙を埋めて交換しあって、Veraは”My João ~ João Me!!”って世界に向かって叫んだりしている。

冒頭にはVeraの母とのやりとりで、母は箱に入った若い頃の写真を見せたり、手袋の付け方を教えたりしている。そういう経験って何になるのか? Veraが歩いていくと奥から霧が湧いてきて、彼女の祖父は霧が好きだという。最初の雨がきたりとか北からの風がきた時とか、忘れていた大切なことを思い起こさせてくれるから、と。

でも恋が目の前で生起しつつあるVeraにとって、霧は視界を遮る何かでしかない。同様にうさぎを抱えたJoãoは祖母に、すばらしい瞬間がずっと続かないことがおそろしくないか、起こったことが二度と起こってくれないことがこわくないか、と問う。

不安定なVeraの状態について、彼女の両親はそんなに心配しなくてもよいのではないかと言う。教育すればなんとかなるし、結婚も教育のうち、誰もがやっている - 軍隊に入るようなものではないかと。それに対して母は、失われることを恐れていないのだとしたらそれは恋ではないのだ、という。

Veraは祖父に、ひとは愛のために死ぬことができるかと問い、祖父はムーア人の姫の叶わなかった恋の伝説について語り、伝説は恐怖(Fear)が作りだすもの - この時間が途切れてしまうこと、永遠が永遠にならないことへの恐怖 - が起源なのだという。

こんなふうにふたりには彼らのことを心配してくれるよい家族がいて、どれも間違ってはいないのだろうが、彼らの恐怖や不安 - ふたりでいる時間がずっと続いていかないこと、こうして起こったことがそれきりになってしまうこと - を解決するなにかにはなってくれない。 一度離れたらふたりは二度と元に戻れなくなってしまうのではないか、と。

ここまできたらこのふたりはふたりでずっと一緒にいるしかなくなる。終盤は学校の遠足から抜けだしたふたりが廃墟の奥で永遠の時間を見つけるまで - でもそれは歓喜に満ちた輝かしい何かというよりも朽ちていく壊れた世界の時間に身を横たえることで、うさぎと一緒に谷に落ちた幼いVeraは花の咲く原っぱや森で幽霊のような影を幻視する。 Veraを抱えたJoãoが霧の向こうに抜けていく。

ずっと海を見たいと言っていたVeraが海を見たらなにを思っただろうか。救われたかしら?

最後はポルトガルの詩人、Sophia de Mello Breyner Andresen (1919-2004)の詩句でおわる。
(この一節は途中にも出てくる)

“Fear of loving you in a place as fragile as the world”  

詩人Sophia de Mello Breyner Andresenについては、João César Monteiroによる16分強の短編ドキュメンタリー - “Sophia de Mello Breyner Andresen” (1969)があって、YouTubeにあったので見てみた。Carl Theodor Dreyerとの思い出に捧げられていて、詩を読んだり書いたりの彼女の姿に加えて、こちらは圧倒的に海の映画 - 岩の間を抜けるとその向こうには海が広がっているのだった。

詩の引用は他にもリルケとかがあるようで、ぜんぶ知りたい。

Rita Azevedo Gomes監督の作品だと、MUBIで”A Vingança de Uma Mulher” (2012) - A Woman's Revenge も見ていて、これもスペインの絵画みたいに強烈な印象があって、どう書いたらよいのかしら、とか思いつつそのままになっている。


9月になると、陽の沈む位置がどんどん左のほうに寄ってきていて時間も短くなっていて、かなしいねえ。

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