9.30.2020

[film] Correspondências (2016)

 12日、土曜日の昼、MUBIで見ました。Rita Azevedo Gomes監督によるフィルムエッセイ。英語題は”Correspondences”。

彼女の”Fragil como o mundo” (2002) – “Fragile as the World”でも引用されていたポルトガルの女性詩人Sophia de Mello Breyner Andresen (1919–2004)と、ポルトガルの独裁政権時代に国外追放された詩人・エッセイストJorge de Sena (1919-1978)との間で1959年から1978年 - Jorge de Sena が亡くなる迄 – にやりとりされた書簡の束を元にしている。

映画(ビデオ)の往復書簡というと”Correspondencia Jonas Mekas - J.L. Guerin” (2011)が思い浮かんで、移民として米国に暮らすMekasと映画祭等で異国を彷徨うGuerinとの映像を通したやりとりは国境や放浪について考えさせてくれる優れたエッセイだった。

こちらの往復書簡は、どちらも既にこの世にいない人たちのもので、やりとりは手紙 - 何か月も過ぎてから届いたり - ひとりはポルトガルに留まり(パリに出かけたりはしているが)、もうひとりはブラジル~アメリカ(ウィスコンシン)へと、帰国を許されず放浪を強いられた。手紙の内容は、互いの近況を伝えつつも会いたい、戻りたいという切実な思いとその地点から詩や詩作について自身に問い返しているようなものもある。 彼らの往復書簡集は本にもなっているのだが英訳はされていないみたい。残念。

往復書簡は20年に渡るものなので映像はいろんな時代、粒度、サイズ、ビデオだったり16mmだったりのアーカイブ映像のようなものから、屋内や庭にセットを作って、そこで俳優が演技をするものまでいろいろ、手紙の朗読もこれらの映像にヴォイスオーバーされたり、俳優が読みあげるものもある。映しだされる土地はポルトガルは勿論、ブラジル、パリ、ギリシャ等 - 同郷だったり異郷だったりの昔と今と。

書簡がそれぞれの相手やその居場所に向けられた思いを綴り、Rita Azevedo Gomesはそのやり取りの上に彼女の失われてしまったもの、壊れてしまったものへの愛を絡めて織物を編んでいく。“Fragile as the World”ではやり取りされていた杭の下に埋める恋人たちの手紙、ずっと一緒にいたいという恋人への思い、それがやがては失われ崩れていくことへの畏怖を紡いでいた。
最初の方で詩とは相反するふたつのこと- 結合への強い思いと沈黙/白紙のページ – を問うものだ、というテキスト(誰のだろ?)が出てくるが 、その定義の元で言葉とイメージが鮮やかに切り返されたりしていく。

もういっこ、Manoel de Oliveiraの映画でもPedro Costaの映画でも、彼らの「家」 - Casaに対する強い思いを感じることがあるのだが、猫が寝転び、みんなも寛いで、ピアノが響き、キッチンでスズキ(かな? でっかい魚)を捌いたり、土地というよりもそういうことを柔らかく包んでくれる場所としてのCasaへの強い希求が基調音としてあるような。誰のものでもなく誰のものでもある、そういう家に手紙は届き、返され、ぱりぱりしたパイ皮のようになる。

彼らがどんな詩や文章を書いたのか知らないとなー、とまずはSophia de Mello Breyner Andresenさんの詩集を探してしばらく本屋を彷徨っていたのだが、ロンドンにはどこにもないようなのでAmazonで頼んだ。ポルトガル語/英語併記の”The Perfect Hour”という薄いペーパーバックがあって。とてもシンプルな言葉を使って海や庭や夜や星について、それらに触れる孤独 - ひとりであることについて綴っている。 あー、これらの言葉をJorge de Senaさんは求めたのだ、自分の家から遠く離れて、と思った。

滲んだり掠れたりした夢のなかのような映像がどれもたまんないのだが、音もまたすばらしくて、特に部屋で鳴るピアノの音とか、泣きたくなるくらいよいの。どうやったらあんな音を録れるのだろうか。

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