8月30日の昼、Curzon Victoria – 映画館で見ました。映画館で見たいやつもさすがに減ってきたかも。そんなに新作が出ているわけでもないし、ストリーミングで見たいのもいっぱいあるし。
ラトビアのGints Zilbalodisさんがひとりで作りあげたような台詞のない75分のアニメーション。
アニメを見るのは久々で、ロンドンだとジブリ系は映画館復活後も割とかかっていて安定の人気だし、「君の名は。」(だっけ?)とかの新しめのも入ってくるしレビューも悪くないのだが、日本のアニメのあの絵柄が表象する(そして刷り込もうとする)日本人の気持ち悪いあれこれが耐えられなくなっているので見ない。いや、個々の作品を見ましょうよ、て言うのかも知れないけどそれなら他に見たい個々は山ほどあるので間にあっている。
男の子(中高生くらい)がひとり岩に引っ掛かってぶら下がっていて、そこに首なしの巨人が現れて彼を飲みこんで、彼はそこから懸命に逃げ出して、そこからChapter 1の”Forbidden Oasis”になる。ここは楽園のような場所なのだが、バイクがあってリュックがあって、リュックの中には水筒とか地図が入っていて、地図上にある町のようなところまで行った方がよいのかどうか。振り返ると元きた入り口のところに巨人がいて空っぽの目でこちらを見ているので、バイクに乗って傍らにいた飛べない小鳥をお供に旅にでる。先の方には半円型のゲートのようなのが一定間隔で連なっているので、そこを抜けていけば道になっていくらしい。
絵は最近の3Dアニメーションの目くるめく経験と比べるととっても素朴な、切り絵のような、悪く言えば初期のCGゲームのような味と色味があって、でも背景の回りこみとかどこまでも果てのないかんじとかで見せて、Chapter 2の“Mirror Lake”の美しさはなかなか素敵な。
少年ひとりの旅、冒険なので乗り越えねばならぬ局面とか危機一髪みたいなところがあり、それらを通して決断のシーンがあり、その脇で飛べなかった小鳥が飛べるようになったりとか、いろんな動物が出てきたりとか、エコな世界への目配せもあるし、独りよがりな若者の旅、というかんじではない。彼は喋らないし、ほぼ笑わないし泣かないし叫ばないし。
こうして最後の危機を乗り超えて巨人を振りきるのが最後のChapterの”Cloud Harbour”で、全体がゲームの場面場面をクリアしていくような構成で、その纏まり具合はきれいだし眠くなることもなかったし文句ない。
けど、なんかラカン臭いというか、”Away” – 遠ざかるというよりも社会の真ん中に飛びこんで同化するプロセスそのものを描いているようで、これってそういうことでいいの? 別にOasisにずっといればいいのに。巨人なんて放っておけばいいのに、小鳥と一緒に遊んでいればいいのにな、って。
この後の流れとしては、向こうから現れた町の人々がみんな顔なしがゾンビか、っていうやつか。
あと、主人公が女の子だったらどう描いただろうか、って。(同じだよ、って言える?)
ついにBFI Southbankに行った。 まだ売店もコーヒースタンドもみんなが待つ場所もなくて、紙のチケットもないしレジュメペーパーもないし、シアターに直結している出入り口から入って出るだけだったけど、でもすごーく嬉しかった。最後にここに来たのは3月16日だった…
9.04.2020
[film] Away (2019)
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