8月26日、水曜日の晩、Criterion Channelで見ました。ここでRobert Siodmakの3本、というのをやっていてその中からの1本。原作はヘミングウェイの1927年の短編。Burt Lancasterのデビュー作でもある。邦題は『殺人者』。
NJのBrentonの小さなダイナーに夜、殺し屋にしか見えない男ふたりが現れて、客 とか従業員を脅してSwede (Burt Lancaster)の居場所を聞き出すと、そのまま出て行って、アパートにいたSwedeを銃殺する。ここまでの流れがすごく見事で、ダイナーの客にはNick Adamsまでいるし(Nick Adamsとしか言いようのない風情で)。
保険の調査員Jim Reardon (Edmond O'Brien)がSwedeにかけられていた保険金$2,500の調査のために乗り出して、そこに警察からSwedeの友人だったSam (Sam Levene)も加わって、Swedeのやや面倒ぽい過去のあれこれが浮かびあがってくる。
元はボクシングの選手だったSwedeは怪我で試合を続けられなくなって、やくざのBig Jim (Albert Dekker)と関わるようになって、その彼の周囲にいたKitty (Ava Gardner)の窃盗の罪を被って3年間牢屋にはいって、出所してからはBig Jimの企んでいる給与現金強奪に加わって、でもそこに情婦になっていたKittyが絡んで、現金がなくなってしまった – Swedeが殺されたのはこの辺の事情と思われた。で、話は今の時点に戻って、現金の在り処をめぐって当然次に狙われるのはKittyで..
過去(起こったこと)と現在(これから起こること)、現金(消えた)と女(複雑で謎)と男(あっさり殺された)を巡っていろんな思惑が、保険屋(仕事)と警察(仕事もあるけどあまり関わりたくない)の間でなされて、そのミステリーは結果的に落着するのだがその背後は相当こんがらがっていたなー、って。 Big JimやKittyの目線から見たら明らかに違って見えるであろうストーリーがクールに線引きされていて、その容赦ないかんじもよいの。ていうか、最初に出てきたふたりの殺し屋の印象が強すぎて、結局あいつらだろ、になってしまっても構わない、その強いコントラストも素敵。 有無を言わさぬ殺し屋の世界はあるのだ、っていう怖さ。
Criss Cross (1949)
9月6日、日曜日の昼、これもRobert Siodmakの3本、からの1本。邦題は『裏切りの街角』。
LAの駐車場でSteve (Burt Lancaster)がAnna (Yvonne De Carlo)に必ず行くから待っていてくれ、って告げて、そこから回想にはいって、輸送車の会社に勤めるSteveが元妻のAnnaとよりを戻すためにAnnaの夫でやくざのSlim Dundee (Dan Duryea)に現金強奪の話を持ち掛けて - 自分はインサイダーだから - で、強奪のどさくさで怪我をしたSteveは新聞に載るヒーローになり、でも金はどこかに消えちゃって、当然ふざけんな、ってやってきたSlimの追手をなんとかしつつAnnaとの待ち合わせ場所に向かうのだが...
“The Killers”よりも非情で救いようがないのだが、どっちも昔の女への未練を棄てられずに危険な賭けに出て結局破滅しちゃうようなやつなの。 女からすれば「あんたなんかいなくても別にもう」だと思うのだが、そうさせたくない – 今の自分は過去のあいつとは違うんだ、っていう復讐に近い男の情念が物語をドライブする。それはただのナルでまぬけな勘違いだから失敗して自滅するのはいい気味、っていう教訓のお話しとして捉えればよいと思うのだが、こういうジャンルを「ノワール」と呼んだり、相手の女性を”Femme fatale”とか憧れてかっこつけたがるバカがそこらじゅうに湧いてくるところに二重の悲劇があったりしないだろうか。
たんに「だめ男もの」とか呼べばいいのに。
この頃のBurt Lancasterってなんとなく今のZac Efronに似てない? 哀れな迷い犬みたいところとか。
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