9.28.2020

[film] Bill & Ted Face the Music (2020)

25日、金曜日の晩、Curzon Victoria - 映画館で見ました。
こういうのってやっぱり映画館でないと、って行ってみたけどいつも3人くらいしかいないのよね。

“Bill & Ted's Excellent Adventure” (1989) 『ビルとテッドの大冒険』- “Bill & Ted's Bogus Journey” (1991) 『ビルとテッドの地獄旅行』から約30年の時を経て放たれた待望の第三弾、こういうのが好きな(かつての)ガキ共は震えて喜ぶようなやつだと思うのだが、わたしは前二作を見ていない(ええー)ので、そういう楽しみも喜びもなくて、その状態で見たらどんなかしら、というのを確かめてみたい、というのは(割とどんな映画でも)楽しみとして、ある。こういうバカなのが大好きなはずなのになんで見ていないのか、については言い訳も含めていろいろ書きたいところだけど、まあいいや。

見ていなくても十分におもしろい。 時間を置いて作られた続編というと、”Dumb and Dumber” (1994)から”Dumb and Dumber To” (2014)までの20年、というのが記憶に新しいが、あれがバカは死ななきゃ.. というふたりの変わらなさを全面に押し出して、良くも悪くも、だったのに対して、こっちの29年もそれはあるけど、それだけじゃなくて世界も相当しょうもなく酷くなっててさ… という状況認識がまず正しい、としか言いようがない - 要は好きなようにやっていてこれでいいのだ(バカボン)、というだけなんだけど。

前作までで、音楽の世界でバンドが大成功したらしいBill (Alex Winter)とTed (Keanu Reeves)のふたりにはそれぞれ娘がいて大きくなってて、妻たちとも仲がよさそうなのだが、見るからに落ち目になってて、でも世界をひとつにする曲を書いてリリースしないと世界は - そして妻たちも ..  っていうお題が未来から降ってきて、曲なんて書けねえよ、って、でも時間を遡れば見つかるかもしれないな、って時間旅行をしてその時代時代のどうしようもなく変貌している自分たちの姿に遭遇していくのと、あいつらを始末しろ、っていう指令を受けた間抜けなロボットが追いかけるのと、パパたちの危機を察した彼らをそのままコピーしたような娘たち – Billie (Brigette Lundy-Paine)とThea (Samara Weaving)が同様に時間を遡って凄腕ミュージシャンたち - Jimi HendrixとかLouis ArmstrongとかMozartとか - をリクルートしていく旅が絡まって、横並びで激しく上昇下降を繰り返すふたつのエレベーターから見えるぐちゃぐちゃに膨張して誰も手がつけられないし手をつけようともしない世界は果たしてこんなふうだった、と。

そもそもが約30年の時を経ていきなり湧いて出た、この映画自体が時間旅行からずり落ちてきたような代物なので、なにが起こっても誰もなんも期待していないし驚かないし、しかも音楽は世界を崩壊から救うことができるのか、っていう今や誰も相手にしないテーマに正面から取り組む – しかもそれを自分たちの娘の代にてきとーになすりつけたりしている。捨て身でもないし保身でもない、彼らと彼らの娘たちのスカスカの頭をひたすら「世界を救う」音楽が吹いていく気持ちよさ。物語としてはAdventure → Journey → Odyssey くらいのスケールになっていると思うのだが、そこに”Face the Music”と大書きしてしまうバカの潔さ。ノスタルジックなところに落ちる/留まることをどこまでも拒否、というか知らんぷりして音楽に向かってふんふん首を振っているだけなの。

誰もが思ったかもしれないけど、この後の世界はBillie & Theaに任せてほしいし、Matrix 4もどうせ同じような「世界」を扱っているのだろうから、このノリで攻めてほしい。そしてJohn Wick 4(だっけ?)は既にこの「世界」に足を突っこんでいる気がしてきた。

あと、せっかく音楽を扱っているのに、音楽そのものにこれぽっちも感動しないしたいしたことない、あとになんも残らないのもよいかも。せっかくDave Grohlだって出てくるのになんもしないし。
そこはひとりひとりが自分のを見つけてあてはめとけばいいんだ、っていうことなんだと思う。

できれば、Monty Pythonみたいによぼよぼになるまで続けていってほしい。世界観的にも案外近い気がするし。

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