4月29日、水曜日の晩にBFI Playerで見ました。 ここの”Female Desire on Screen”ていうコレクションのなかで結構でっかく推しているようだったので。 R18だけどヨーロッパではふつうに上映されてドイツでは深夜にTV放送もされたのだそう。日本で上映されたかは知らないが『ロマンスX』のタイトルでDVDが出ている模様。
女性監督Catherine Breillatによるフランス映画。
小学校の先生をしているMarie (Caroline Ducey)には一緒に暮らしているBFのPaul (Sagamore Stevenin)がいて、ベッドもひとつなのに彼はぜんぜんセックスしてくれない(ということを話題にしてもはぐらかされる。ひとりでなにをしているのか追ってみると日本料理屋のカウンターでひとり御飯していたり)ので、諦めて自分で町にでていろいろやってみる、というのをMarie自身の語りで綴っていく。
最初にPaolo(演じているのはイタリアのポルノ男優)っていう妻を亡くしている男と出会って、やって、続いてお金持ちの初老の男(雇用主)にやさしくがっちり縛られて、やって、それからアパートの階段で通りすがりの男にレイプされる。それらの動きを通して得られる快楽も苦痛もin – outのように右から左に即物的に流れていって、どちらかがオーガニズムに達したらとりあえず終わり、のような構成にはなっていない。
通常、男性の欲望を満たすことを目的に作られるポルノ映画であれば、この映画は性的に満たされない状況にある女性(人妻とか)が、その欲望を満たすためにいろんな場面でいろんな相手とやりまくる、ということになるのだろうが、問題はそこで消費される「欲望」が常に男性の視線を前提としたそれだったのではないか、ということなの。女性の側からみたとき、セックスとは、欲望が満たされるとは、オーガニズムとは、どういうものなのか、なぜそれを求めるのか、等をMarieのモノローグと行動を通してドキュメンタリーのように(実際に撮影現場でしているという)追っていく。 この観点に立ってみると、これは従来のポルノ映画ではないし、「女性のためのポルノ」という呼び方ですら汎化しすぎている気がする。 男性の側から「病気」という角度でこれに近い描き方をしているのがLars von Trier の“Nymphomaniac” (2013)だった気がするが、あれも今にして思えば.. だねえ。
結局それは穴なのね、と。 後半、妊娠していることがわかったMarieが病院にいくと医学実習生たちにかわるがわる無造作に指を突っこまれ、出産のところではその穴から胎児の頭がにょろりと現れる。女性にとってはその穴を中心とした出し入れの運動、ということに集約されるんだよくそったれー、というところで唐突に弾け飛ぶラストシーンがすばらしい。 そして人はこんなもんを「ロマンス」とか呼んだりするのだ。 呼んどけ、って。 愛? 知るかそんなのうるせえよ、くらいの。
これの前の日に見たベルイマンの”From the Life of the Marionettes” (1980)の夫婦のありよう・視線の矢印とはいろんな点で対になっている気がした。ただの偶然だろうが。
とってもフランスぽいドライさ、とも思うのだが、日本のようにポルノも変態も先進的に機能分化している国(ほめてない)では既にこういうのはあったりしないのだろうか。あったとしても日本すごい、になるとは思わないけど。
Allcinemaとかに載っているミソジニー臭たっぷりのコメントとかみんな大好き映画秘宝とか見ると(見たことないけど)、こういうのはぜんぜん遠いんだろうなー、って。
日本が休みだと朝に落ちてくるメールの数が劇的に少なくなるのでうれしい。それも今日までなんだわ。あーめん。
5.06.2020
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