5.25.2020

[film] Les choses de la vie (1970)

18日、月曜日の晩、Film ForumのVirtual Cinemaで見ました。この日、Michel Piccoliの訃報が届いて、なにか見たいな、と思ったら丁度Film ForumのRomy Schneider特集の1本としてかかっていた。
英語題は”The Things of Life”、邦題は『すぎ去りし日の…』。原作は Paul Guimardの同名小説で、ルイ・デリュック賞を受賞している。

冒頭は道路脇の交通事故現場で、タイヤがふっ飛んでて、突っ込んだ車と一緒に木が燃えてて、死んでるの? 生きてるの? という声と、その場にいた人たちの証言などが聞こえてきて、車の外に放り出されてかろうじて生きているっぽいPierre (Michel Piccoli)の頭のなかなのかフィルムと時間が逆に回っていって車が雨の道路を逆走して走り始めた地点で止まる。

ここからPierreが恋人のHélène (Romy Schneider)と過ごした甘い日々と、これからHélèneとどうしていくのか関係を続けるのかやめるのか、そこからどこかの地点で放り出してしまった妻Catherine (Lea Massari)や息子Bertrand (Gérard Lartigau)とのこと、事故の現場で救急車の到着を待ちながら秒単位で死に向かっていく時間と、そこからランダムに戻っては戻って回転していく過去の時間を交錯させつつ、”The Things of Life” - 生活の中にあるもの - を拾いあげていく。事故現場の上空でPierreのでっかい走馬灯が回っているようなかんじ。

自分と比べて若くて輝いているHélèneを見つめつつ自分に彼女を愛する資格はない..  ってその反対側で自分の家族のことも思って、Hélèneに宛てた手紙を書いていたことも思いだして、なにやっているんだろう? なのだが、ああもう体が動かないわ..

いろんなシーンをジャンプしつつもカメラは常に事故現場に戻っていって、それがPierreの朦朧だったりとびとびだったりする意識の流れと同期しているようで、終盤はそれが決意を胸に車に乗って夜明けの道路を(死=破滅に向かって)疾走する車とPierreの焦燥に収斂していく。 のだが草の上に横たわって動けないけど意識はあるらしいPierreの容態から想像できるであろう悲惨さ、悲壮感には繋がっていかない。 寧ろユーモラスに記憶の断片を拾い集めて転がしているような。どーしようもねえな、はは..  って。

救急車で病院に運ばれてからは、どうなるんだろう? 助かるのかな? なのだがここでの映像はそれまでの生々しい記憶から少しずつ離れていくようで、ああ、って思っていると。

訃報を聞いたその晩に見ると、どうしてもMichel Piccoli自身の死について想ってしまう。彼はその最期にどんなことを考えたり思い出したりしたのだろう? どの映画のどんなシーンを? 監督は? 女優は?

わたしにとってのPiccoliって、ほんとうに普通の、典型的なフランスのおじさん(胸毛もうもう)男優で、思い浮かぶ映画も『美しき諍い女』から『パッション』から『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』から『ロシュフォールの恋人たち』から『軽蔑』から、ほんとにスタンダードどまんなかだと思うのだが、並べてみればこれはこれですごいな、って。

ここんとこ自分も歳をとって、どこでどんなふうに死ぬのかしら?  とか思うようになってきたのだが、想像しただけで怖ろしいのは、死の間際 - 意識が途絶える手前で、ほんとにくだんないどうでもいいこと - それこそ書くのも憚られるようなしょうもないことが頭に浮かんで離れなくなってしまったらどうする? っていうことなの。 そんなの抱えてゲートに立ったら神さまはぜったい天国には行かせてくれないようなひどいやつ。

映画を見たあと、映画のなかでは使われていないのだがRomy Schneider & Michel Piccoliによるデュエット - ”La chanson d'Hélène”を聴いてしんみりした。 これもよいし、劇中で流れるPhilippe Sardeの音楽もよいのだが、頭のなかで流れていたのってBryan Ferryの“Can't Let Go”しかありえないのだった。


連休が終わっちゃったよう。って書くとこれに続くのは会社行きたくないよう、だったのだが今は会社には行っていないので、シンプルに仕事したくないよう、になるの。 いじょう。

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