5.29.2020

[film] The Flavour of Green Tea Over Rice (1952)

21日、木曜日の晩、BFI Playerで見ました。この日はInternational Tea Dayだというから。

小津安二郎の映画は自分にとっては言語が日本語であることを除けば洋画で - 洋画を見るようにここで起こっていることはなんなの? を頭のなかで変換したり転がしたりしながら見る楽しみがある。 邦題は(というかこっちが原題よね)『お茶漬の味』。

50年代の東京で丸の内の商社に勤める佐竹茂吉(佐分利信)と妙子(木暮実千代)の夫婦がいて、稼ぎがよいから一軒家で、子供はいなくて家には女中がいて、寝室は別で、ふたりはお見合い結婚で、妙子は上流階級出で、茂吉は庶民の家の出で、生活態度からなにからすれ違ったりなに考えてるのかわからなかったりするので妙子は奥様仲間うちで茂吉のことを「鈍感さん」て小バカにしつつ、ずっと漠とした不満を抱えている。

姪っ子の山内節子(津島恵子)は周囲みんなからそろそろお見合いね、と言われて席までアレンジされたのに「嫌です!」ってサボったりして膨れていると、茂吉の後輩でこいつも「庶民的」を看板にする岡田登(鶴田浩二)が寄ってきたりする。

お茶漬けの味、っていうのは茂吉の好物でご飯に味噌汁とかなんでもかけてずるずる食べるのをインティメイトでいいな(英語字幕では”cozy”)、って主張するのだが妙子はそれを貧乏くさくて犬みたいでやだ、って我慢ならなくて、そういうのでふたりの亀裂が決定的になって、妙子は須磨の方にひとりで帰ってしまう。

要するにこれは高慢ちきな妻に対して例えばおれはお茶漬けみたいにお手軽で簡単なのでいいんだよ、っていう夫の下手にでる優しさとか寛容さをアピールしているように見えて単に夫の嗜好を強要しているだけなのと、そういう優しさ(仮)と抱き合わせで、いちいち言わなくてもこっちのことを察しろよ妻なら女なら、っていう傲慢さ - 本人はちっともそう思っていない - がぷんぷん漂って、そんな奴には毎日毎晩お茶漬けだけを出してやればいいんだ、とか。

結局お茶漬けだろうがビフテキだろうが昭和の昔にあった「ぼく食べる人わたし作る人」の役割分担がベースになっている時点でだめで、でも皮肉なことにいざお茶漬け食べようかってなったらふたりとも自分たちでは作れなかったりする(女中さんがやっているから)。ぜんぜんだめじゃん。

岡田の方もおなじ匂いがして、パチンコやって競輪やってとんかつとラーメンが好きで、ぼくはこういう安いのでいいんですよ、とかしれっと言うのだが、ほぼ会ったばかりの節子にそんなこと言ってなに期待してるんだ? 博打好きだけど食費は安く済むからお得とか?  仕事はやるしできるし、博打好き、食事は安くていい、そのうち仕事の絡みでゴルフとかやりだして、ぜったいそのうち手料理食べたいな、とか言いだして、なんか目に見えるようだわ(なんか見てきたらしい)。 だから節子さんはずっと結婚しないほうがいいよ。

全体として女たちはみんなでおいしいもの食べて温泉行ったり遊んでいていいけど男は会社もあるし出張もあるしなのにお茶漬けでいいよって言うんだから健気じゃねえか多少鈍感さんでも不器用でも許せや、っていうおっさんたちが飲み屋で言い合うようなことがそのまま滲んでいて、わかるだろ - わかってやれや、って言われているようでとってもくさいかんじ。

これって明確な女性差別とか蔑視の描写とか脚本がどう、っていうことではなくて、最近だと”The Perfect Candidate” (2019)にもあったように、そういうやばくてきな臭い状態・事態なのですよ、っていうことを明らかにしているだけで、小津の映画ってそういう登場人物間の意識の構成とか建てつけが和の建物とか間取りのありようとかに連動しているかのようにパノラマで見渡せるようになっていること、その連動に押し出されるようにエモや怒りがぽん! て噴出するところがおもしろくて、そういうところを洋画っぽく感じるのかも。

ただ現実としては、この時代にうまく丸めこんで/丸めこまれてしめしめ、になった連中が先輩後輩関係もそのままに上にあがって政治経済の天辺にのさばって、このやり方の延長で「まあいいじゃないか」とか言いながら無自覚で無反省なおっさん的抑圧をしまくっているのがいまのにっぽんなので、本当に早期にいなくなってほしい。こいつら聞く耳まったくもたないくせに追求されるといやお茶漬けが.. とか言いだしやがるんだわ。

自分が見てきた木暮実千代って、『雪夫人絵図』(1950)でも『赤線地帯』(1956)でもいつもかわいそうな役ばかりで今度のは元気でよいかも、と思ったのだが、ろくな男が傍にこない、っていう点では変わらずなのかも。最後本人は幸せになったみたいだからいいのかしら。

英語字幕も勉強になるの。「南京虫」ってBed Bugだったの?、とか、「鈍感さん」は”Mr. Bonehead”なのか、とか、「甘辛人生教室」は”Bittersweet School of Life”だって。


Bright Eyesの”Fevers and Mirrors”のリリースから今日で20年、とか聞くとさすがにちょっと待て、になる。 納得できる20年前とそうじゃない20年前があってね、これはいくらなんでもね..

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