5.01.2020

[film] The Diary of a Teenage Girl (2015)

24日、金曜日の晩、BFI Playerで見ました。
BFI Playerにはジャンルの他にコレクションていう分類があって、”Woman with a Movie Camera”とか”Comedy Genius”とか”Coming of Age”とかいろいろあるのだが、最近立ちあがった”Female Desire on Screen”ていうコレクションにあった1本。それの記念なのか、この日の19:00からBFIのキュレーターの人が入ったLive watch-along viewing 、ていうのがあって、それとは1時間くらい遅れで見た。

日本では公開されていなくて『ミニー・ゲッツの秘密』というタイトルでDVDが出ている。
“Can You Ever Forgive Me?” (2018)のMarielle Hellerさんの監督デビュー作。

76年のサンフランシスコで15歳のMinnie (Bel Powley)がひとり外をずんずん歩きながらせいせいした顔で“I had sex today... Holy shit!”って呟くのが冒頭で、彼女はそのまま自分の部屋に戻るとテープレコーダーに向かって同じことを繰り返して喋って、それが彼女のDiaryになっていくの。

家にはボヘミアンのママのCharlotte (Kristen Wiig)と妹と猫のドミノがいて、そこにママのBFのMonroe (Alexander Skarsgård)がだらしなく入り浸っていて、MinnieはMonroeに軽くアプローチかけて彼のとこで最初のを済ますとそれでつっかえが取れたみたいに彼のとこに出かけてはやりまくって、友人とつるんで当時の自由な空気のなか絵を描いたりZine作ったり遊びまわるのだが、そのうちママにMonroeとのことがばれて.. (ママ狂乱)

よくある初体験モノ、というのをそんなに見ているわけではないので他のと比べてどう、ってあんま書けないのだが、この作品はティーンがいろんな経験をしてその最後に通過儀礼のように卒業のようにSexがきて何かを改めて知る/更新するというのではなくて、まず冒頭にやっちまったぜ! があって、そこからあーすっきりしたこれからだー、ってDiaryを吹きこんであれこれセキララに晒しまくってどんなもんだい! っていうあたりが新しい、のかな?

身体も含めて自分はだめだぜんぜんいけてない、と思っていた重石や縛りがあれをやって解かれたあとに目の前に広がっている世界、同様にやたらぶつかってくる世界(含. 親)をその当たりの強さとか降りかかる埃とか塵とかも含めてストレートに広げてみて、結構傷だらけになるけど別にいいじゃん、上等だわ、って。

あれをすることがなんで縛りからの解放になるのか、これってなんで女子だとこうなっちゃうのか、女の子は「女」にならないと動けないもんなのか、っていう批判でもあるし、70年代の西海岸ていう土地と時代のお話でもあるし、大人とかいろんな境界に対する「けっ」ていう観点だと“Ghost World“ (2001)も出てくるし、Minnieの数年前の姿として“Eighth Grade“ (2018)のKaylaもいるし、相当いろんな風呂敷を広げてくれるのだが、この広がりは決して「こうでなきゃけない」ありようを示す、方には動いていかない。それって“Can You Ever Forgive Me?”にもあったやさしさ、にも繋がっている気がした。

音楽はMinnieと女友達が部屋のIggyのポスターを舐めまくるThe Stoogesの“Down on the Street“とか、ブチ切れたMinnieの脳内でがんがん流れるTelevisionの“See No Evil“がすばらしいの(”See No Evil”は77年の東海岸だけど)。

主演のBel Powleyさんは”A Royal Night Out” (2015)でマーガレット王女を演じていた彼女。ぶれてない。


5月になって、5月はどうだ? どうなるんだ? どうするんだ? って穴からでた春モグラみたいに暴れたくなっていたところで、J.Crewが破産申請って…  自分が着るものに関しては気にしてどうなる/どうするもんでもないのでどうでもよくて、そのどうでもよいかんじにうまくはまって、あんま考えずに買えるのがありがたい唯一の銘柄だったのに。 タンスの2/3くらいがここのなのに。
大好きなレストランを奪って、外に着ていく服を奪って、そんなに家に閉じこめたいのか。

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