5.22.2020

[film] Beyond The Visible - Hilma af Klint (2019)

17日、日曜日の晩、BAM (Brooklyn Academy of Music)のVirtual Cinemaで見ました。日曜美術館。

今はいろんな美術館がオンラインで収蔵品を公開していてアクセスできるのだが、美術に関してはやっぱし直に見たいからやっていなくて、美術関連のドキュメンタリーだと、”Lucian Freud: A Self-portrait” (2020)とか、既に見た展示に関する奴を見ている程度。何が言いたいかというととっても絵と対面したい。4月初でチケットを取っていたゲントの”Van Eyck. An Optical Revolution”が見れなくなった(中止だって)のは本当に悲しい。

Hilma af Klint (1862-1944)はスウェーデンの女性画家で、海軍士官の裕福な家庭に生まれ、スウェーデン王立美術院で学んで肖像画や風景画の世界ではそれなりに認められ、その後1900年前後から抽象画 - 彼女はそう呼んではいなかったが - を描き始めて、没後に1500枚の絵画と、26000ページに及ぶ文書・メモが遺されていることがわかった。

映画は彼女の生い立ちと遺族(彼女の甥の息子やその妻)の証言、20世紀初の世界観の揺れと抽象絵画の創生、彼女の作品を併行して追いながら、彼女の絵画のエッセンスと何故彼女は抽象画壇(みたいのがあるとして)から一切無視されたままで来たのか、を描いていく。美術ドキュメンタリーとしてとにかくおもしろい。

最近のドキュメンタリーとしては”Bombshell: The Hedy Lamarr Story” (2017)、”Be Natural: The Untold Story of Alice Guy-Blaché” (2018)に並ぶ、女性を無視/軽視して(男性によって)書かれてきた歴史に対する異議申し立て。 こういうのはもっともっと出てくるべき。

2012-13年にMoMA – “モダンアートのヴァチカン” – で開催された展示 - ”Inventing Abstraction, 1910–1925”にも彼女の絵も名前もなくて、でも彼女の絵画との対比でJoseph Albersが、Paul Kleeが、Cy Twomblyが、Andy Warholまでもが引き合いに出されて、彼女は彼らの構図やモチーフとそっくりの絵を1910年代の時点で既に描いていたりする(映画の中で実物が対比されるのだがびっくりよ)。もちろん偶然、はい偶然、なのだろうが、今のモダンアートの世界でこういうの発見されたら「知らなかった」では済まされず即座に抹殺されるよね。

そしてそれが偶然でもなさそう、ということが、彼女が後の抽象画家たちと同様の問題意識や世界に対する時代の目をもって絵画を創作していたことが、遺されたメモや絵画から明らかになっていく。19世紀末の科学の進歩 - 不可視の領域で起こった数々の新発見 - によって我々の見ている世界、我々がリアルだと思っている世界が一枚板ではなく、その背後の闇や隙間にある無数の数理や定理によって、偶然のようなバランスによって統御されていることを知ったとき、画家は世界になにを見る/見ようとするのか - “Beyond Visible”。これはもちろん、絵画の世界だけで起こっていたことではないし男性だけがそれを知っていたというわけでもないし。

彼女が最初に描いたとされる抽象画は”Primordial Chaos” (1906)、その前後の絵画のタイトルだけ並べてみても”Radiowave” (1889), “X-Ray” (1895), “Quantum Theory” (1900), “Relativity Theory” (1905) - などなど。 光は波 (wave)であり同時に粒子 (particle)でもある、という当時の発見に触発されて何枚も描いている。 でも画家は科学者じゃないんだし? はぁ? ダヴィンチは?

彼女の探求の熱を当時の画壇では受け入れようがなくて、やがて彼女は神智学を見つけて、Rudolf Steinerにも会いに行くのだが断られている(Steiner、Kandinskyには会ってあげるくせにさ)。そっちの方に行っちゃったのなら違うんじゃないの? はぁ?  Kandinskyは? Malevichは?  Mondrianは?   女性だと絵画ではなくてお絵かき(お絵かきごめん)とかポエム(ポエムごめん)みたいな扱いにされちゃうってこの頃からなのね。

Kandinskyが「パブリシティ」という言葉まで使って太鼓鳴らしてアメリカの方に自身の「抽象絵画」を売り込みに行った(J.B. Neumannへの手紙)のに対し、行き場を失った彼女は創作を続けながらも田舎に隠遁してそのまま。 70年代に遺族が美術館に個展の申し出をしても見もせずに即座に断られている。

実物を見れていないのがとっても悔しいのだが、映画の中で見る限り彼女の絵はどれもすばらしそうで、名誉回復とまで行かなくても、普通に認知されて見られるようになってほしいし見たいし。 歴史の書き換え? そんなのすればいいじゃん。 Guerrilla Girlsの例の美術業界における男性偏重主義についても言及があるのだが、そういうことなのだとしたら(そういうことなんだろう。見たくない考えたくないんだろう)あーあ、だわ。 誰に文句言ったらいいのかわからんし。

早く美術館いきたいなー。 今日、Rijksmuseumは6/1から開くってメールが。

三連休だよ。

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