9.02.2019

[film] Dolor y gloria (2019)

仕事で南アフリカに行っていて、8月31日の朝に戻ったその午後、CurzonのBloomsburyで見ました。
(デモやるのわかっていたらそっちに行ったのになー)

英語題は”Pain and Glory”。 Pedro Almodóvarの新作で、こないだのカンヌではAntonio BanderasがBest Actorを、Alberto IglesiasがBest Composerを受賞している。
BFIやCurzonでは3ヶ月くらい前からこれの予告がずうーっとかかっていたので、潜在意識のやろうがとにかく見ろって言っている。

監督の前作の”Julieta” (2016)が喪失や離別をきっかけに自身の過去を追いかけていく女性のお話 - 原作はAlice Munro - だったのと同様に、行き場を失ってどうしようもなくなっている映画監督が周囲の人やドラッグの助けを借りて自身を発見していく旅。 自伝的な要素もあるのだと思うが、そこは掘ってもしょうがないか。

Madridに暮らす映画監督のSalvador Mallo (Antonio Banderas)は、80年代頃に活躍したものの頭痛持ちで腰痛持ちであらゆる痛みと病気を抱えて生きていて、数年前に背中の手術をしたものの調子はよくなくて、業界では過去の人になっている。でも最近になって80年代の彼の出世作の”Sabor”がリストアされ、再評価に繋がりそうな気運もあり、上映イベントに出てくれないか、という依頼が来たりしているので、同作の主演男優で、その後袂を分かっていたAlberto (Asier Etxeandia)の元を訪ねると、最初は過去の恨みから敵意まるだしだったAlbertoもヘロインを一緒にやって打ち解けて仲直りをして、それでもイベントのQ&Aをドタキャンしたりしょうもないのだが、ヘロインの鎮静効果はなかなか捨てがたく、らりらりしながら子供時代の母(Penélope Cruz)とのことを思い出したり、しかもそれがよかったりしたのでだんだんにヤクが手放せなくなっていって。

こうして話は彼の子供時代の回想 - 洞窟のような家に住んでいたこと、読み書きを教えてあげた青年とのほんのりした恋とか - と、亡くなる少し前の母(Julieta Serrano)とのやりとりと、Albertoに渡した昔に書いた台本が呼びこんだかつて一緒に旅をした恋人Federico (Leonardo Sbaraglia)との再会と、もうひとつの思いがけない再会と、これらを巡りつつ、彼がなんとかやりすごし、同時に彼を支えてきた痛みの向こう側にあった様々な過去が再び彼を前方に押しやるまで。

撮れなくなっていた映画監督が回復するまでのお話、と言ってしまえばそれまでなのだが、ここで紡がれて過去から現在に向かってくるエピソードはどこまでも甘く切なく、でも軽い。 それを軽くしているのはAntonio Banderasの疲れて気だるげな笑顔で、自分の痛みはなにをどうしたって他者に伝わるもんでもないから、ていうその諦念が彼の背骨を縦に開いて、その傷口から一挙にいろんなものが入ってきたかのような。

皮膚(肌)の表面を伝っていく快楽とその皮膚を一枚隔てた裏側で蠢く他者には知り得ないいろんなものとの攻防、そしてそのありよう(例えば子宮とか母乳とか)を最初に教えてくれたママの思い出、というのはAlmodóvarの映画を貫くテーマだと思うのだが、今回のはそれがもっともわかり易く、普遍的なかたちで現れているのではないか。他方で、彼のもうひとつのテーマとしてある「罪」とか後ろめたさ、みたいのはあまりないかも。

Antonio Banderas、昨年の“Life Itself” (2018)でもすごくよかったねえ。これから藤竜也みたいになっていくのかしら。

Salvadorの家の至るところにあるモダンアートの絵画、大量の本棚の本、これらも含めて彼の内面(回想)がドライブしていくお話しで、頭痛持ちとしてはとても納得できるのだったが、歳とるとでっかい本て重くてしんどくなってくるよね。(なにを言いたいのか)

Federicoが家に来たとき、テーブルの上に置いてあるフラン(プリン)がおいしそうでさあ。

回想シーンの川で洗濯をする女性たちがみんなで歌う歌と、メインテーマの万華鏡の電子音が不思議に同調して頭のなかで回って止まらなくなる、そういう映画でもあるの。

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