10.17.2018

[music] Nine Inch Nails - October 13 2018

13日の土曜日の晩、Radio City Music Hallで見ました。ほぼこれのためにNYに渡った。

Radio City Music Hallに最後に来たのはずうっと昔のIron and Wine?  Modest Mouse?
(ちなみに最初に来たのは93年のThe B-52's、 前座はThe Juliana Hatfield Threeだった)

NINは6月のMeltdownとRoyal Albert Hall以来で、あれらは相当にとんでもないやつだったが、それでも、あれでも、頬をぱしぱしやって塩をまく(力士か)おめざの儀礼みたいなもんにすぎないことを、本丸が北米にあることは十分にわかっていたので、あれらの凄さが後からしみてくればくるほど、今回の機会を逃すのなんてまじありえないのだった。

チケットには7:00とあって、それってDoor openの時間だと思ってて、だって他にもやることいっぱいあったしさ、とか言い訳してもしょうがないけど、つまり着いたら”Just Like Honey”の甘いメロがホールにラウンジみたいに響いていて白目を剥いた。ばかばかばか何度やったら…

JAMCは3年前にシカゴで見た30th Anniversary of Psychocandyのライブ以来で、あの時よかごりごりの度合いは増してよい意味でdullでloseで、単に疲れていただけなのかもしれないが、とても気持ちよかった。こないだの新譜もよかったし再びやってくれるのではないか。

幕間は物販と飲み物とお手洗いの行列がごちゃごちゃにホールをうねって芋洗いでひどくて、でもとりあえず始まる。

ここんとこのNINは、加虐と被虐の狭間に落っこちてもがく自己と世界の相克のドラマを中心に引っ掻きまくるのと、そういうドラマをあらしめているぼろ絨毯としての世界 - 既に十分に腐れたそれ - をぼこぼこぶん殴るのと、極めて大雑把に分けると2系ある気がしていて、前者を象徴しているのが”The Downward Spiral”で、後者のそれが”The Fragile”で、今回のRadio Cityの2 Days もそういう軸を中心に分けることができる、気がしないでもない。  勿論、曲によってそんな綺麗に簡単に色分けできるわきゃないのだが、NINのsetlistを読むおもしろさ - NINやTrentの歴史を横に置きながら - というのは確かにあって、そういう中で今回のLegの冒頭の”Broken”全曲とか、”The Perfect Drug”初演とか、なにが起こってもおかしくない事態、というのが進行中で、それが爆裂しつつも完璧にコントロールされたバンドのパフォーマンスと絡み合って展開されていくスリルときたらない。なにを演っても初めて聴くみたいに聴こえてくる。

で、この日のでいうと”The Fireman”の音圧がサウナ地獄みたいになったところで、あの、なにでどこをぶっ叩いているのかいつも想像してしまう邪悪な打突音が脳幹に打ち込まれ、”Mr. Self Destruct”が始まったので、ああこれは血まみれ傷だらけの土曜の晩になるんだわ、と思って、実際にそんなかんじの殺気がびゅんびゅん飛んでくる。単に一枚板でラウドとか攻撃的とかいうより、個々のピースが絡まって結合してバンドサウンドとして生成されていく様をライブで追うことができる、そういう音の出しかたをしているから新鮮に聴こえるのかしら。

ここまで1日おきで演奏されてきた”The Perfect Drug”も、その法則に従えばこの日は演らないはずだったのだが、MSDをやった以上は来るよね、と思って、そしたらやはり演ってくれた。流れとしてはここまでが自壊/自滅の曲集で、この後の新譜からの3曲以降はこれとは位相の異なる新たな出発についての歌で、でもそんなのぜんぜん信用できないの - なにしろ”Bad Witch”だから - といったところも含めて全体の流れはとてもジャズのかんじがして、それは単にサックスを入れたりしているからというだけではなく、これまでパラノイアックに全体の整合や完成型を追求するクラシックのようなアプローチを止めて、よりランダムにスポンテイニアスに瞬間の刹那を求めていくような、そっちの方にシフトしているようで、その辺がツアータイトルの”Cold and Black and Infinite”ていうやつで、そこには晩年のBowieが志向したであろう「ジャズ」もあった(”Black Star”と”Bad Witch”)のだろうし、制御管制系をAtticus Rossに委譲できるようになった、というのもあるのだろうが、とにかく無軌道に痛快に暴れてくれるので、Trentがタンバリンひとつ叩くのですら見ていて楽しい。

(これまでも何をしでかすかわからないスリルがなかったとは言えない - けどそれってネガティブな方 – また音楽活動止めちゃうとか – でしかなくて)

おなじみのラストの”Hurt”ですら違って聴こえて、これまで自己の帝国の瓦解とそこに伴う痛みや腐臭にしか生を見いだせなくなったどん詰まりが世界の消滅として(あの映像と共に)語られていたのに対し、今回のは映像なしで最後のパラグラフ – “If I could start again ~ I would find a way”がKeyになっている気がした。(あの蛇が好きだったのでちょっと残念)

この日のBowieカバーは” I’m Afraid of Americans”で、これが自分にとってのBowieだ、と言っていた。”I Can't Give Everything Away”の方は、みんなに捧げるBowie追悼の曲である、と。

“The Perfect Drug”は初演のときの動画で見たときより随分こなれてばりばりに弾んでいた。終盤の暴れ太鼓のあと、Ilan Rubinが放心したようによろよろとドラムスから降りて、どうしたのかしら、て見ているとピアノのとこで最後のフレーズ弾いてた。(”Without you everything just falls apart”って君のことなのか)

次はいつ”We’re In This Together”をやるか、になるの、かな?

ライブはまだまだいくらでも見たいけど、どちらかというとこれの後、3部作の次にどういう音、アンサンブルに向かうのかを見たい。ひょっとしたらこれのライブレコーディング、かも –  どこをどう切ってもすばらしい記録になるよ。

ステージの真下に控えて、絶妙のタイミングでTrentにタンバリンをトスするのってDream Jobになるよね。

10月にはもういっこ大事なライブがあるので、そこは死守しないと。

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