10.08.2018

[film] A Star Is Born (2018)

3日、水曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。公開初日、でもチケットは割とふつうに取れた。

1937年に作られたバックステージものの3度目のリメイクなので、この悲劇の筋はだいたいみんなわかっているのではないか、ていう前提で書きます。 から、フレッシュに見てさめざめ泣きたいひとはこの先読まないほうが、かも。 ちなみにわたしはLady Gagaというひとの音楽はほぼ聴いたことがなくて、TVで集団で(はじめはこの集団をLady Gagaっていうのかと思ってた)踊っているのを見たことがある、程度だった。

Jackson Maine - Jack (Bradley Cooper)はフェスの会場をいっぱいにできる - バンドではなくソロで - くらいのキャリアの人気ミュージシャンなのだが、飲酒問題を抱えててステージ上でもちびちびやったりして割とよたっている。

ウェイトレスのAlly (Lady Gaga)は曲を書いたりしてはいるのだがどん詰まりで、しょうがないので場末のバーとかで歌ったりしていて、そこにライブ後のJackがひとり酒を呑みにきて、彼女の歌う”La Vie en rose”を聴いて、こいつは..  てなってその晩、ふたりは朝まで一緒にうだうだして、歌手は目指したけど鼻がでっかいから無理って言われた、とかそんなことを話して、彼女を家まで送ってから彼のライブを見に来ないかって誘うのだが、彼女はバイトあるし、っていう。

でも結局バイトなんかやめたる、ってマネージャーに吐き捨てて(いいなー)バイト仲間とJackのライブ行くことにしたら自家用機とかが用意されてて(いいなー)、着いたらすぐにステージの袖に案内されて(いいなー)、ライブが始まると、Allyが来たことに気づいたJackは一緒に歌おう、って誘ってきていやいやいや冗談じゃないわよ、て言うのだが、結局マイクの前に立って声をだしたら大喝采を浴びて、SNSでもこの娘だれすごい、って広がって、そのままずるずるJackのツアーにくっついて歌っていくことになる。

このあとはJackのマネージャーで兄Bobby (Sam Elliott)との確執とか、Interscope RecordsのプロデューサーRez (Rafi Gavron) に誘われてスターへの道を昇っていく - SNLにでて、グラミー獲って、ビルボードになって、などなど - があって、Allyと、それでも、それゆえに深まっていくふたりの愛と、でもやっぱしスケジュールとかで離れ離れにならざるを得なくなるふたりと、そうすると寂しくなって酒とドラッグに溺れて坂をぐだぐだに転がり落ちていくJackと、こういうときこそあたしがしっかり支えなきゃ、ていうAllyと、そんなこと許されると思ってるのか、って圧力かけてくる業界と、絵に描いたような愛と成功と献身と救済と犠牲をぐるぐるまわるメロドラマが展開される。(音楽とか歌う力は最初からあるらしいのでその辺の苦労や心配はないの)

このドラマを可能にしているのはBradley CooperとLady Gagaの間に起こる化学変化で、ほぼそれのみと言ってよくて、それが最初に炸裂する"Shallow”は確かにスターが誕生する瞬間を見事にとらえていると思うのだが、でもそれだけで、それがあるだけでもすごいじゃん、というか、それだけだとやっぱしなー、になるかは人によるのかも。

できれば、スターになる前のAllyがなんで女子トイレであんなに絶叫しなきゃいけなかったのか、とか、それなりに場数を踏んできたはずのJackがなんであの程度のコメントで折れてしまったのか、とか、もうちょっと掘り下げてあればじっとり盛りあがったかもなー、とか。

なので、最後の"I'll Never Love Again"もなんか昭和の演歌みたいにしか響いてこないの。そういうのが好きなひとには訴えるのかも。
ただ、そういうとこも含めて全体に軽い、ストリーミング・サービス時代の「スター誕生」ではある、のかなあ。

でも、折角21世紀のリメイクなんだから、ずっとこてこてのメンズ-メンズワールドであるショウビズ業界への批判があってもいいんじゃないか、とは思った。 – けど、最初にでかでかと”Live Nation Presents”って出て、「Interscope Recordsの..」とか平気で言ってるのでまだまだ道は遠いんだろうな、って。 最初の企画にあったClint EastwoodがBeyoncéとやろうとしたのがどんなものになったか、をちょっとだけ想像してみる。

自分にとっては   George Cukor - Judy Garland - James Mason (音楽はHarold Arlen & Ira Gershwin)の1954年版がとにかく決定版のとんでもないやつで、NYでのプレミアで一度だけ上映されたままでどこかの蔵に隠されている181分バージョンを死ぬまでには見たい、ていうのが数少ない映画的野望になっている。  (自分が見たのは2010年にリストアされた176分版)

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