こっちから先に書く。
7日の日曜日の晩、BFIで見ました。 35mm版上映で、これはこれですごくよいの。
時代は79年のNYに飛んで、まだあそこにはツインタワーがある。
冒頭はごま塩の老人になっているMichael (Al Pacino)がお祝いのパーティをしているところで、彼は子供に囲まれて教会に沢山の寄付をする慈善家のようになっていて、そこにはKay (Diane Keaton)も息子のAnthony (Franc D'Ambrosio)もMary (Sofia Coppola)もいて、Anthonyからは稼業は継がずに音楽の道に進むと言われてがっくりきたり、甥 – Sonnyの息子のVincent (Andy García)がやんちゃに現れて厄介ごと起こしたり、でもMaryとダンスして幸せだからよいか、みたいなのがいまの彼の状況である、と。
今度のは大司教が持ちかけてきたヴァチカン銀行の土地投機の話しがあって、そこのも含めた過去の取り分とか扱いをめぐってJoey Zasa (Joe Mantegna)がキレて、ヘリで会合ごとぶっ飛ばすみたいな派手なことをしてくれて、MichaelとVincentはなんとか逃げることができたのだが、Vincentはお返しにリトルイタリーのお祭り(またお祭り..)で、Joeyを始末する。
という本筋とは別にMaryとVincentの切ないラブストーリーがあって、柔くなってきたMichaelもVincentにMaryだけはいかん、とにかく身を引けってきつく言う。
終盤はオペラ歌手デビューをするAnthonyの公演を見に家族みんなでシシリーに赴いて、MaryとVincentの関係はまだ微妙で、Michaelがここで結婚していた女性の件も思い起こされて複雑で、更には土地投機の鍵を握る法王の交替とか、敵対勢力が送りこんでいる刺客とかがいて、その状態でAnthonyの登場するオペラ - Cavalleria rusticana - が始まって、よりによってこんなエモ満載の逆恨みドラマをバックに、いろんな殺し – 橋から吊るし首、毒入りcannoli、メガネを首に刺す、それからついに法王まで… でも一番最後にきたのは…
シシリーに来たMichaelが教会を訪ねて告解をする場面があって、泣きながらわたしはxxを殺しましたーとか延々とやるのだが、あれ、受けるほうは絶句するよね。赦せるのか、って。
前2作にあったような時間や場所を大きく跨ぐようなことはもうなくて、その場所に置かれた写真、そこで聞かれ語られる言葉に過去も現在も全てが細かに表出してきて止まらなくなるかんじ。 たんなる老人の走馬灯なのかもしれないが。
誰もが考えるであろう大ボスの引き際、心身の衰弱があるのは当然としても、(自分が手をくだしていないにせよ)最後の最後までぐさぐさでテンションが途絶えることはなく、最後はそれが極まってそのままFrancis Baconの肖像画みたいに固まってしまう。
彼の扱うビジネスが貧乏人を救うカジノから全ての人を救う宗教の方にシフトして、それと並行して物語にはじめて恋愛が導入されて、(自分のでないとはいえ)その恋愛が彼にトドメを刺す、という皮肉な円環。 本当はVitoとCarmelaの間にも、MichaelとApollonia、MichaelとKayの間にもあったに違いないお話なのにそれがなぜここで?
(カジノから宗教へ、って今の政府の踏んでるとことおんなじだわ。何十年遅れてるのか)
3つのお話しの構成やテーマの置き方、その共通軸や転がし方を俯瞰して掘り下げることもできるかもしれないけど(Part II見るまではそう考えていた)、あまり意味ない気がしてきた。これは別に神話でもなんでもなくて、アメリカの近代化の流れのなかで出てきたファミリー的なお仕事集団の盛衰を描いたもので、たぶんこれと同様の集団や家族の物語が911以降のグローバル経済と難民の時代に変奏されることになる、のかもしれない。
でも、もう血まみれなの、泣き叫ぶのは見たくないんだ。
ここのSofia Coppolaはすばらしくよいのだけど、監督するほうに行っちゃったのね。
あの音楽に歌詞があるのを始めて知った。あと不穏なシーンになるとPart IIではピアノの低音が鳴って、Part IIIでは口琴のような音が響いてくるの。
これからは仕事関係の集まりで趣味とか聞かれても、映画鑑賞です、とか言えるかも。
どんなのを見るの? とか聞かれたら「ゴッドファーザー3部作かなー」 って胸張れるんだわ。
10.11.2018
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