9月26日の水曜日、Barbican Cinemaで見ました。ここで9月末にあった小特集- “Generations: Russian Cinema of Change”の最初の1本で、ソビエト時代に当局から検閲されたり上映禁止になったりした映画たち or そういう世代の監督たち - の特集(全部で6本)で、まったく知らない世界なのでどんなものかしら、と。 英語題は、”Goodbye, Boys”。
最初にイントロで監督Mikhail Kalik - 70年代にイスラエルに亡命した彼の経歴と当局に没収されたこのフィルムが80年代、どうやって監督の元で再構成されて今の状態になって世界で公開されていったか、とか、Mikael Tariverdiyevの音楽の紹介と彼の音楽にインスパイアされたというピアノ曲が披露された(演奏のところは完全に落ちてたごめん)。
第二次大戦の前夜、黒海のほとりの町に17歳の3人の若者がいて、小さい頃からずっと一緒に遊んできた仲間で、学校を出たので次の進路を決めなければいけなくて、軍の学校からは当然のように熱い勧誘が来ていて、軽いかんじで行ってみようかなー、とか言っているのだが、そうすると親からも女の子からも離れ離れになってしまうことは全員わかっていて、でもそんなこと考えたくないし誰にもはっきりとは告げられないまま無為に過ぎていく最後の夏の日々を描く。
画面はドキュメンタリーのようにスカスカで、出てくる若者たちの演技もあってないようなもので、夏の光のもと、黒海で水着になってみんなではしゃいで一緒に泳いだり水辺でだらだらしてアイスクリーム舐めたり、でも家に帰ると母親が待っていて(軍に行くことを)とても心配していたり、といったスケッチを重ねていって、離れ離れになる日が近づいてくる、その、焦ったってしょうがないけど、なんかやだなこのままこうしていたいな、ていう後ろを向いていたいかんじ。
昼はどこまでも明るく眩しくて、夜はほんとうに暗くて、水辺は果てしなく気持ちよさそうで、3人でいるといっつも楽しくて、そこに女の子がいると更にもっと楽しくて、そんなあたりまえのことがあたりまえに重ねられているので、これが失われてしまうというのはどういうことなのだろうか、ということを素朴に考えてしまうし、このまま軍人になったら間違いなく戦争に行くことになるのだろう、それってどういうことなのか、この状態とどれくらい違うものなのか、そりゃぜんぜん違うよね、ということも頭には浮かんでくる。
具体的な描写というよりこんなふうに浮かんでくる印象のようなところを当局はけしからん、て忌み嫌ったのかもしれないけど、それを浮かべて忘れがたいものにしてしまう景色や感情の喚起力はすごいと思った。かんじとしてはBergmanの ”Summer with Monika” (1953) の楽しいパートみたいな(たぶん他にもいっぱいあるはずだけど、いま頭に浮かんだのはそれくらい)。
音楽は、どこを切っても青春、みたいな描写が続くので、へなちょこ系のネオアコ、とかでも合うのかもしれないが、Mikael Tariverdiyevの流れるようなピアノの旋律は確かに画面のなかの風とか波のようにそこに吹いて寄せては引いていて、これしかないかんじがとっても。 会場を出たら彼のCDとかアナログを売っていたのだが、少し考えてまたこんどにした。
ならず者国家、とか呼ばれている今のロシアよりこの頃のほうがよっぽど清々して見えるのだけど、そんなこと言ってもしょうがないね。
10.08.2018
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