10.01.2018

[film] Searching (2018)

9月22日、土曜日の昼間、West Endのシネコンで見ました。

最初にPC(ひょっとしてWindows Vista?)上で、David Kim (John Cho)一家のアルバムが時系列で開かれていって、妻との間にMargot (Michelle La)が生まれて、幸せだったのに妻は闘病の末に亡くなって、父娘ふたりで暮らすようになってMargotは大学に通い始めたところ。 家族の記録をぜんぶPC上に整理していることからもDavidは相当に家族思いできちきちした性格(ちゃんとゴミ出ししろ、とか)であること、最近そのあたりをMargoから煙たがれていることがわかる。

始めから終わりまでドラマはぜんぶPCとかスマホの画面を通して展開される。このドラマを作ったひとのカメラではなく、Davidを含む登場人物たちが作成・加工したり受信したりする映像と主人公Davidの操作するポインタのクリックとダイアログのみで綴られる。つまり、Davidがここで考えたり推理したりして画面を通してあれこれ追っかけていくことは、これと同じようなことが起こったときに、我々が自分で考えたりぶつぶつ言ったりしながらPCやスマホに向かってとるであろう行動と同じであろうと思われて、ストーリーラインも時系列でDavidと一緒に経過と顛末を追っていくことになる。

なにが起こったかというと夜中の23時頃に外出していたMargoから電話着信がふたつとFaceTimeの呼び出しがひとつ入っていて(その時Davidはベッドで寝てた)、普段あまり向こうから電話してこないMargoがかけてきたということは緊急のことが起こったに違いないと。 実際に2日過ぎても彼女から音沙汰がないので、警察に連絡をして行方不明者としての操作が始まる。

なぜか家に残されていたMargoのPC (Apple)を開いてFacebookやSNSのコンタクトを端から調べて一覧表を作って、彼女が失踪した日にどこで誰と会っていたのかをこまこまチェックして埋めていく(彼の仕事はコンサルっぽい)。彼女のアカウントにどうやって入ったの? ていうのが疑問としてあると思うが、必死の親はどんなことだってするし神様だって許してくれるわよ、って。オンライン上のコンタクトをぜんぶ潰しても決定的な手がかりはないのでじゃあオフラインの方だ、って走り回るようになり、この辺りから単なるオンライン推理ゲームではない別の面白さが出てくる。

オンライン上のなりすましや擬装からその本人を特定したりたどり着くのは難しいけど、それはオフラインだって実は同じで、つまり、あたりまえのことだけどひとをそう簡単に信じてはいけませんよ、って。

その難易度とかなりすましを見抜くために求められる技術、みたいのはこういう時代、より面倒に困難になっているのかしら?  こういうのもこれからは検索技術に含まれてくるのかしら?
オンラインとオフラインの狭間とか組み合わせのようなところで犯人は見つかるのだが、あれはわかんないよね。 推理してどうこうのスリルとか面白さ、とは違うやつで、つまりはSearching、ってことなのだろうが、大変だねえ、しかでてこなくて、その大変さをこまこまこういうことなのよ、てきちんと説明してくれた、っていうとこがこの映画のえらいところなのかも。

Davidの大変さも身にしみるけど、人によっては自分が被害者になっちゃった場合、あんなふうにPCとかスマホの中味掘られたら.. というほうに戦慄するかもしれない。Forensicと通信履歴でデジタル上の動きはほぼわかっちゃうからねえ。やな世の中だねえ。

眉間の皺がずっと残るJohn Choは”Columbus” (2017)に続いてシリアスなやつで、ちっとも悪くないけどHarold & Kumarモノはもうやってくれないのかなあ。でもKeanuもあれに戻ってくるし、きっとだいじょうぶだよね。

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