8.09.2017

[film] England is Mine (2017)

書いてないのがいっぱいたまってしまった。

4日金曜日の夕方、SOHOのCurzonでみました。 初日の夕方なのに8人くらいしか入っていない..

76年のマンチェスター郊外、自宅に親と住んで、事務の仕事をしながら本読んでレコード聴いてなんかを書いたりタイプしたりバンドメンバーの募集したり、女友達と会ったり、This Charming Manになるずっと前、 "Still Ill"で"England is mine, and it owes me a living"と宣言する前の、Steven Patrick Morrissey (Jack Lowden)の鬱々悶々とした日々を描く。 それだけ。

Morrisseyは(Ian Curtisとは違って)死んだひとではないし向こう側にいっちゃったひとでもないし、"Autobiography"もまだ積んだままの状態で確認できないのだが、映画はこの本を元にした形跡はなくて、Morrissey本人はこの映画のことを一切無視している、といったことを考えあわせると、こんなふう.... でいいよね? くらいで作ってしまっていて、文句いいたくても打刻された具体的なイベントやエピソードがあるわけではないので明確に反論できずに黙らざるを得なくて放置、みたいになっているのかしら。

あとは映画自体の方向もStevenのその後の成功に向けた足取りを描く、というよりは天気の悪いイギリスの田舎でお先真っ暗なままアップダウン&ダウンを繰り返すどこにでもいそうなぱっとしない若者(像)、にフォーカスしているので、Morrisseyさまを求めていくとなんじゃこれ、かもしれない。MorrisseyさまがMorrissey的にもがき、嘆き、悲しみ、なにかを見出す、そういうのもあんまりないの。

The Smithsの曲は一切流れない - 唯一、彼が最初のバンドで人前で初めて歌うシーンで伴奏される曲のリフって… くらい - 、Johnny Marr(Laurie Kynaston) が彼の家のドアを叩くのは映画の最後のほうで、部屋に入って7inchをかけるくらいなので、音楽に救いを見いだす/その手ごたえを掴むところにすら至らない。 流れていくのはFrançoise HardyなんかのポップスとかせいぜいSparksの"This Town..."くらい。

これこそが、と言えるものはなにひとつなくて、こんなんだから、だからこそ我々はMorrisseyを、ということなのだろう。
家にいてもバイトしてても友達と会っても、どこに行ってもどん詰まりで相手にされなくなる前にこっちから切っちゃって、みたいなのの繰り返しはとってもよくわかる。 いまはスマホがあってネットもあって...  というのは考えてもしょうがないか。

ものすごくまじめに作っているのでうんうん、しかないのだが、どうせなら"24 Hour Party People" (2002)みたいに「神様があー / 啓示があー」 のようにしてしまう、というやり方もあったのではないか、といいかげんなんことを思ったり。
何度もぐるぐる回ってしまうのだが、この地味さ、暗さゆえにどうにも嫌いになれない、のが困ったところで、それってMorrisseyの音楽についても同様で、ついつきあって聴きはじめて、気がつくとどうしようもない奥の深みに。

Morrisseyを演じたJack Lowden - "Dankirk"にも出ていた - の声はすこしだけほんものに似ていて、顔はたまーに似て見えることがあるくらいで、でも当時の本人はもっと、もっとすさまじくださくてどうしようもなかったはず、と思っていて、そういうほうが見たかったのに。

The Smithsが解散して30年だよ、とか言われてもへえ、だよね。
Strangeways 待ってろ、だったのに、まだ見つかんないのに。へんなの。

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