7月28日のお昼くらいにCity Airportを発ったBAの1便ていうのはなんか小さい機体でほんとにアメリカまで飛ぶのかしらと思ったら、席がぜんぶビジネスで、直行せずにまずアイルランドのShannonに停まってそこで全員荷物もって一旦降りて、アメリカの入国審査はここでやって、1時間後にもう一回同じ席に戻る、ていう変なやつだった。 機内TVとかなくて、欲しいひとにはiPadとヘッドホンが配られるの。
帰りのは7月31日の19:30にJFKを発って、8月1日の朝7:00少し前にHeathrowに着いて、約22kgに膨れてしまったガラガラを転がして地下鉄のって、フラットの60数段の階段昇っておうちに入ったのが9:00少し前。 たるいので会社はやすむ。 洗濯して買いもの行って、昼寝は気持ちよかったけど半端にしか寝れない。
実質2.8日の滞在で、映画4本、美術館5つ、ライブひとつ、レコ屋2軒、本屋いっぱい、レストランあれこれ、アイスクリームいっぱい。 そんなもんか。
BrooklynにもQueensにも行けなかったし。Uptown2時間、Midtown1時間、あとはDowntown。
天気は土曜日だけ少し曇っていたけど雨にはならず、あとはひたすら気持ちよい陽射しかんかんのNYの夏で、本当は公園とかカフェでだらだらごろごろできればねえ、だったのだが。「本当はさー」の世界を騙し騙し生きているのがずうっと、20年以上続いている気がする。 やあねえ。
それと同じようにもっと感慨に浸ってぼーっとすべきだったのかもしれない。 でも町はものすごい勢いで変わり続けていてあーあー、なところだらけだった。新しい店ができていてもわーこれなんだろ、ではなくて、前にあったあれ、どこに行っちゃったのかな、の方が気になるとか、Closeや移転が決まっているお店はなくなっちゃうまでにもう一回来れるかな、とか心配のが先に来てしまう。 Trumpのやろう、とか言う以前にもうどうしようもないところまで来ていて、ノスタルジックななんかがそれ(を推進する連中とか)に抗するなんかになるわけがない、ということもわかっていて、じゃあどうするのか、ていうと古い映画でも見るしかないや、って。 70年代の映画に映っているNYはなんか素敵に見えて、じゃあそれと同じことが今のNYを撮っておいて40年後にそんなふうに見えたりするのか? そうは思えないのよね。
マンハッタンのスカイラインをあんな、歯並びのよくないガキみたいにしちゃって、誰に文句言ったらよいのだろう。
でもそうは言っても、歩いたり地下鉄に乗ったりバスに乗ったり町のある地点からある地点に移動している限りはひたすら心地よくて、(地下鉄の駅構内のうだるような暑さですら)心地よいままに目的地に着いたりしてしまうのでこれは魔法か、と思ったりしていた。 いや、ただの夏休みだっただけよ。
これと同じような感覚がやがてLondonでも湧いてきたりするようになるのだろうか? たぶんなる。 その感覚を呼び覚ます要素って、どんなものなのだろうね。 本屋? レコ屋? 映画館? 乗り物? 食べ物? 建物? 人々? 異国であること? 時間?
というようなことばかり最近考えるようになってしまったのは、やっぱりあれかー。
やっぱりさー、時間がなさすぎるんだよね。 ずっといられるんだったらこんなにジタバタしない。
ほんとに限られてるんだなーやだなー、って思ってばかりになったのは、歳とったからかしら。
いや、たぶんそいつがNYだからだ。
8.02.2017
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