11日の木曜日の晩、ICA (Institute of Contemporary Arts) で見ました。 Londonではここでしかやってなかった。
86年に亡くなった(もう30年かあ)Joseph Beuysのドキュメンタリー映画。
ところどころ欠損している(欠損していることがわかる)記憶があって、うんうん思い出したりしながらなんとか英語字幕についていくかんじ。
BeuysがNam June Paikとかと並んで(当時の)西武やワタリ周辺で少しだけ盛りあがりを見せた80年代前半はまだ、芸術はいかに社会を変えることができるのか、(or 少なくとも)関わることができるのか、みたいな議論がそこらにあった気がする。
いまやアートは社会や公共に奉仕したり共棲したりコラボしたりするなにからしいのだし、大学教育から文系は排除されていくばかりのようだし、大学経営は企業経営とおんなじようなもんらしいのだし、アートに政治を持ちこむと煙たがられるらしいのだし、ほんとにあーあ(見事に腐りきっちゃったもんだわ)、なのだが例えば戦争とアートとか大学教育とアートとか、そういうのを少しでも(過去の振り返りとか未来のあるべき姿とか)考えてみようと思ったら、Beuysの通った道を避けたり無視したりすることはできないはず。
Anselm KieferだってGerhard RichterだってSigmar Polkeだって、みんな彼の弟子なんだからね。
でも全体として対象があまりにでっかすぎることも確かで、子供時代から飛行機乗りの従軍時代、怪我して鬱になってアートを志した時代、デュッセルドルフで教え始めた時代、政治に関わるようになった時代、それぞれいろいろあって、そこに彼の思想(思考=彫刻)があり、アートがあり、パフォーマンスがあり、環境があり、アクチュアルな行動があり、それらが絡み合っていて、もちろん大抵のアーティストなんてそういうもんだろ、なのかもしれないが、Beuysはそれを極めて意識的に、服装や帽子まで含めて自己組織化し、戦略的に扇動していった最初の「戦後」アーティストだったのだとおもうし、だから彼のアートはある時代の一部を切り取ってみてもゴミだったり毛皮だったりでろでろだったり石ころだったり、割とろくでもないもんだったりするのでなんか始末にわるい。
こういうアーティストって、まずは作品を見ろ、だと思うのに作品が実は... ていうのはおもしろいよね。
なんでもかんでもコンテンツ、の時代を嘲笑ってションベンかけてるし、Beuysって、いまの定義でいうところの「クリエイター」なんかとはぜんぜんちがう異物だよね。
なのでこういう映画だと薄まってしまったかなあ、という印象は少しある。 アーカイブ映像 - 野うさぎ、コヨーテ、渡米時のティーチイン等はもっとちゃんと見たいようーという欲求が高まるし、関係者証言も字幕が出ないのでどういう立場の人の証言、コメントなのかわからないし、時代でいうとFluxusの頃とかほとんどないし、Beuys以降の拡がり、というところで弟子のコメントくらいはほしかったかも。
じゃあ俳優を別に立てて評伝映画はどうか、というとううむー、ポロックやウォーホルやバスキアやカポーティやケルアックの映画みたいなアーティスト映画になるか、というと、どうかしらん...?
なんだかんだあるけど、これは日本で上映しないとだめでしょう。
アート系の大学関係者には椅子に縛りつけてでも見せるべき。
8.16.2017
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。