12日、土曜日の午後にBloomsburyのCurzonで見ました。
見るのはきつかったけど、これは映画がどうドキュメンタリーがどうという以前に、いまの我々が見て頭に刻んでおくべきものだと思った。 丁度00年代にMichael Mooreの一連の作品が切羽詰まった怒涛の勢いで我々を揺さぶったように。
元々はシリアの反アサド勢力だったメディア活動家のグループ(ここに出てくるのは20〜30代の若者たち)が唐突にRaqqaに侵攻してきたISに対抗すべくその危険性、暴力、住民の危機を世界に発信するためにRBSS (Raqqa is Being Slaughtered Silently) を組織して、ISが彼らの町でやっていること(公開処刑、公開拷問、晒し首、など)を隠れて記録してネットにupし始める。 ISは当然彼らの摘発と弾圧にやっきになり仲間が捕らえられたあたりからメンバーは散ってトルコやドイツに移民として渡るのだが、仲間は処刑されそればかりではなく友人や肉親まで手がかけられていく。
異国で住所不定の移民として隠れて暮らし、遅い通信で現地からのレポートや動画をひたすら待ち、届いたのを見てみれば親しい人達が殺されたり育った町が破壊されたりの映像ばかりで、しかし国に戻ったとしても殺されるに決まっていて、の底抜け地獄がそこにはあり、でも何故そこまでするか、というとISのやっていることははっきりと悪で卑怯で間違っているから。それを世界に知らしめる必要があるから。
いまのアメリカで起こっているヘイトの件、日本で起こっているそれともはっきりと繋がる。いやこれは別の問題とか日本は..とかそんなの認めるもんか。 人種やセクシャリティや国や宗教の違い(自分達と違うこと)を理由に他者に(言葉を含めた)暴力や迫害を加えて傷つけたり差別したり苦しめたりすること、これは絶対にやってはいけない悪いことで、メディアやジャーナリズムの機能役割はそれが起こっているんだったらそれを「いけないこと」「だめなこと」として、やっている奴らを卑怯者として、人権を侵害する犯罪者としてパブリックに正しく広めて糾弾すること、でしょ? これは人殺しとおなじ絶対悪なんだから「両論」とか「言い分」とか「なんとかの自由」とか「周りが」とか「昔は」とかないの。偉い奴だろうが政治家だろうが許されないものは許されない、そしてそれを放置したり見て見ぬふりをしておくことも(それを見下ろすことができる場所にいる偉い連中は特に)また許されないの。
見てて胸が張り裂けそうになりながらバカ右翼のいう「自己責任」だの「国が守ってくれる」だの、ほんとにクソみたいな妄言だな、ていうようなことばかり思って、結局武力による解決 - 子供を盾にしているんだよ - しかないのか、とか真っ暗になってそれが延々ループして。
City of Ghosts - 生者ではなく幽霊の棲む町となってしまったRaqqa の今と、かつての楽園のようだった夕陽(or 日の出?)の光景との対比があまりに残酷で、こういうの、いつまでくり返されるだろうか、と。
日本にもCity of Ghostsはあるよね? 福島っていうとこに。 そこをそんなふうにした連中もGhostsで、ていうか妖怪みたいで、ちっとも糾弾されないのが変な国にっぽん。
8.16.2017
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