2.28.2017

[film] Moonlight (2016)

25日の土曜日の夕方、SOHOのCurzonでみました。
なんとなくこれがオスカー獲りそうな予感がいっぱいあって、獲ったら混むだろうから見ておこう、と。
日曜日には"The Salesman"の無料野外上映というのもあったが、週末は気圧の動きがしょうもなくて(→偏頭痛)、小雨も降ってきたし後でシアターでちゃんと見よう、と諦めた。

結果はほうらやっぱり。 日曜日の晩は午前1時まで起きてみたのだが今の仮住まいのとこで契約しているチャンネルでは放映してくれないようなので - でも"Badlands” (1973) なんかやってた -  諦めて寝て、起きたらTwitterが通常の3倍くらいに膨れていたのでなにかあったのかしら、と思ったらなんかあったみたいね。

それはそれは言いたいことはいっぱいあるよ。 監督賞はKenneth Lonerganだろ、とか、主演女優賞は問答無用でElle(Isabelleさま)以外にありえないのだがここではEmmaにあげておかないと、だったのだろうとか、助演男優賞のMahershala Ali、よかったよねー”Hidden Figures"でもかっこよかったし(ついでに言うと彼女のTeresaも”Hidden Figures”に)、とか。
でも、"La La Land”だって別にいいじゃん、て思うの。 おいらはへなちょこなロックも三文パンクもだいすきなんだよ、悪いか。
ていうか他にけなべきなの山ほどいるだろ。いじめやすいのをいじめてんじゃねえよ。

さて"Moonlight"。 
筋をぜんぜん頭に入れてなくて、アフリカとかの大地とか大海で起こる月夜のファンタジーSFみたいなのかと思っていた。
ぜんぜんちがった。 あやまる。

60-70年代(?)のアメリカの、西か南かの郊外、白人のぜんぜんいない荒れた地域でサバイブするChironを3つの時代に区切って描く。 元は原作者の半自伝的な戯曲ということで3幕もの。
最初のパートが小学生の頃の"Little"、次のパートが中高校生くらいの"Chiron"、最後が大人になってからの"Black"。 "Boyhood"のようにひとりの男子の俳優をずっと使って追っかけるのではなく、3人の俳優さんがそれぞれのパートを演じる。 これも"Boyhood"のお話ではあるが、こっちのは家族からも友人からも切り離されていてだいたいひとりで、そのひとりの、無頼の野良猫の眼差しがどこまでもきつい。

最初は母親からも同級生からも虐められて行き場のなかったChironを近所のヤクの売人(Mahershala Ali)が拾いあげて自分ちに呼んで、彼女のTeresa(Janelle Monáe)といっしょに世話をして話をしてあげるの。ちっちゃなLittleにChironのコアができるところで、お話としては人情世話もののような、まだあったかくてよいかんじ。
次が、学校での虐めがひどくなっていくのと、幼馴染のKevinとの絆と、いろんな目覚めとか覚醒とか。
ChironがChironになって屹立する瞬間が鮮やかに切り取られる。
最後が、ストリートでのしあがってでっかくなった彼の、母との和解とKevinとの再会と。
エモのうねりと鼓動は後半になればなるほど高まっていく。 それと共に言葉数はへっていく。

怒涛の展開や苦難や困難や裏切りにまみれた情念のドラマがあるわけではなくて、もちろんきつい場面はいろいろあるけど、遠い国、どこか別の世界の話ではなくて、Chironの成長とか年齢を重ねることとは別に、一途な思いっていうのはこういうふうに - 月の光のようにずっとその生を(青く蒼く)照らしていくのだねえ、てしみじみした。
(テーマとして月の光で狂っていく、取り返しのつかないところまでいく、ていう線もありえたはずで、そこは敢えてやらなかったのだと思う)

とてもパーソナルなところにやさしく触れてくる(であろう)作品で、こういうのが評価されたのはふつうにうれしい。
かんじとしては"Carol"の赤、"Moonlight"の青、とか。
あのエンディングはどこまでも美しくて、客席から拍手も出ていた。

撮影は危なっかしいかんじがよい味で、撮影のひとは”The Myth of the American Sleepover” (2010)も撮っている。 うつろう夜の風と光と水 - “… American Sleepover”でも水が象徴的に使われていたが、今回もそうで、撮影者自身がゆらゆらしながらその生々しさになんとか触れよう、そこに届こうとしている。 青春を撮るというのは例えばこういうこと。

音楽をはめるとしたら自分のなかではThe Smithsの"There is a light that never goes out"しかありえないのだが、あの絵枠だとそういうわけにもいかないか。
あと、ChironがKevinの住むアトランタに向かうドライブに被さってくるCaetano Velosoの”Cucurrucucú Paloma”(これ、”Tallk to Her” (2002)でも使われてた)。あそこだけでじゅうぶん泣きそうだった。あの場面にCaetanoの、あの声をもってくるかと。

そしてこれは - どーでもいいけど - トランプのくそ野郎には400%理解できないおはなしだろうな、というところもなんか痛快。

いまTVで”Easy A” (2010)やってた。 いいよねー。

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