4日の晩、Royal Opera Houseでみました。 The Royal Balletの公演。
渡る前、ロンドンなんだから一回くらいはCovent Garden行きたいよねえ、と思ってサイトみていたらこれを見つけて、更にそこにAlessandra Ferriの名前があったりしたのでおろおろ動転して即座にクリックしてしまった。
長くなるのであんま書きませんが、90年代〜00年代、Metropolitan Opera HouseでのAmerican Ballet Theater (ABT)にはまっていた時期があって、なかでも特にAlessandra FerriとJulio Boccaによる"Giselle”(5〜6回は見たとおもう)はわたしのバレエ観に結構おおきな影響を与えたのだったが、でも日本戻ったらバレエなんて見る時間もお金もヒマもぜんぜんないまま、熱は冷めてしまっていたの。
それが理由はよくわからんがFerriさまが復活している、とばたばた調べてみると、演目自体は2015年にやったものの再演で、Ferriさまの参加もそれに続けて、のものであると。
内容はヴァージニア・ウルフの作品を題材にした三部構成で、第一部が『ダロウェイ夫人』(1925)から(35分)、第二部が、『オーランドー』(1928)から (35分)、第三部が『波』(1931)から(25分)。
冒頭、ウルフがラジオ放送に出て発した言葉 - “Words, English words, are full of echoes, memories, associations - naturally …” - が前方に投影されて、その点滅する言葉が分解されて集約されて粉々に散って、彼女の小説の言葉がそうであるように、さまざまな意識、交錯する過去と現在と未来、他者の声、雑踏のノイズ、これらが欲望や情動として体の表面に出る出ないを統御するいろんな境界とか制約とか分岐とか、あーウルフの小説の言葉って音楽のように流れて寄って遷ろっていくし、それはそのままダンスとして組織できるような、言葉たちがダンスをしていくように動いていくものだねえ、と思ったときには舞台に没入している。
そして自分がダンスを見る、求める理由はここにあったんだわ、って。
FerriとBonelliがメインで踊る第一部 "I now, I then"がすばらしくよくて、切れ切れに投影される昔のロンドンの雑踏風景、更に田園風景、ゆったりと回転していく3つの大きな四角形の枠、その周囲で性急ではなく、でも狂おしく絡みあって舞う3組の男女。 ダンスの様式としてはモダンというよりクラシックに近くて、それがまた見事にはまっている。
第二部の"Becomings"は、性の転移、ジェンダーを扱った近未来もの(だったっけ? オーランドー)で、衣装も金ラメ、動きもプレ=モダンの舞踏っぽく、電子音響ばりばりでレーザー光線まで飛んでくる。
第三部の"Tuesday"は、波のざぶざぶざーがずっと鳴っているなか、男女と子供たちが群れて遊ぶように集まったり離れたりを繰り返していって、誰かの何かがどこかに干渉して、揺らぎを作って、それら全体が動きとしての波を作って、それだけだけど、そんなある一日、火曜日の海の様相。
これと同じような意識で汎ヨーロッパの視線をもってダンスを脱構築してみせたのがPina Bauschだった、のかもしれない。振り付けのWayne McGregorはウルフの作品の底に潜って、これだけのものを炙り出してみせた。
Ferriさんはまったく、なんの問題もなくて、かつてと同じようなしなやかさで動いていた。 その時間の超え方ときたらヴァージニア・ウルフ並み、とでもいおうか。
Max Richterの音楽がすばらしくよかったのでお土産屋さんでCD買った。ついでに有料のプログラム(£7)も買った - 挟みこまれているウルフ年表がなかなか素敵。それからアイスクリーム(4種類ある。ひとつ£3)の生姜風味も買った。
初めてのRoyal Opera Houseは、METよかこじんまりしていたけど、威厳と風格たっぷりだった。
3幕の間の2度の休憩がそれぞれ30分づつ。 みんなその時間にボトル抱えて飲んだり優雅に食事したりしていて、さすがなかんじ。休憩時間は混雑するのでアプリで事前に予約を、って。 奥のほうにいくとメンバー専用のさらにおそろしい秘密の間とかあるんだろうな。
つぎはオペラで来てみよう。
2.07.2017
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