2.15.2017

[art] David Hockney

美術関係をいくつか。

10日の金曜日のごご、バスでTate Britainに行った。前日にメンバーになっておいたので簡単に入れた。
オープンした翌日だったせいか平日なのになかなかごった返していた。

この7月で80歳になるHockneyの、画業60年を記念して開催された回顧展。 こんなの必見にきまっている。

"A Bigger Splash" (1967)は2012年から13年にかけてTate Modernで行われた特集展示で見ているのだが、その他の、特に60年代末から70年代にかけてのランドスケープ(or 室内)と肖像を組み合わせたシリーズ(シリーズではないのだが)を纏めて見ることができて、これらがすばらしかった。(たぶん誰もがどっかの雑誌とかで目にしたことはあるはず)

明るい屋外、あるいは室内でひとり横を向いた男がつっ立っていたりするだけなのだが、その立ち姿の微妙で微細な捩れたかんじ - 中心 - 背筋がどこにあるのだか見えないというか、なんでその男がその位置でそんな姿勢になっているのかの謎も含めたそのほんの少しの不自然さ、袖の線の弛みとか皺とか、どこかが引っかかるへんな違和感故に何か忘れがたい印象と像を残して、そこから絵画で描かれる男の立像の原型みたいなところに到達してしまっているのではないか。 Francis Baconの絵にでてくる男の姿とどこかで繋がっている、と言われても驚かなくて、そしてこれもBaconと同じく、いくら見ていても、まったく飽きが来ないふしぎと。

このあたりをピークとして、写真を複眼的にコラージュしたやつとかアメリカのランドスケープとかオペラ関係とか - 自分にとってのHockneyは少し向こうのほうに行ってしまうのだが、ぜんぜん見ていなかった00年代以降の作品を見ると改めてすごいかも。 同じ風景動画を4面にプロジェクションしただけの「四季」とか植木をモノクロでドローイングのとかiPadを使ったのとか、もういっこの波が来ているのかもしれない。

Hockneyに最初に深入りしたのは美術手帖のたしか創刊500号で、そこではまだとっても若かった大竹伸朗がとっても熱くHockneyを語っていたのをおもいだした。

会期中にたぶんあと2回くらいは来たいところ。 TASCHENのSUMO(あのばかでかい本)からサイン本が出ている - £1750だって。どうする? (でもTASCHENの本は買わない主義)
 
そしてもういっこの有料展示もみる。

Paul Nash   (1889 - 1946)

英国の第一次大戦の戦争画と後年のシュールレアリスムの画家、くらいの知識しかなかったが、初期の暗い樹木や森を描いた地味な作品群がよくて、そのイメージ - 例えばじっとりと朽ちていく樹/しぶとく根をはって伸びていく樹/そのまま空に広がっていく樹 -  そこから後々の荒涼とした土色灰色の戦争や廃墟の光景に繋がっていく気がして、それは例えばキリコが描く道や路地の不在 → 不安のかんじとは少し違っている。  後年のほうのは少し散漫に見えてしまうのだが、やはり戦争の影響ってどこまでも強く残るんだねえ、と思ってしまうのだった。

久々に来たので常設展もゆっくり見る。
ちょうど館内ツアーが”Ophelia”の絵の前で説明をしていて、学芸員のおじさん(たぶん)がこの絵のOpheliaがいかに不自然な格好で流れていこうとしているかを子供たち相手に力説していて聞き入ってしまった。そうか、言われてみればそうだねえ、と。


Alex Israel / Bret Easton Ellis

Gagosian Galleryでやっていたやつ。10日の夕方に。
写真家と文筆家によるLos Angelesをテーマにしたでっかい写真にBret Easton Ellisの文章(詩?)が書いてあるのが路面にふたつ、でーんと貼ってあるだけだった。 カタログも面白かったのだがこの暗くて凍える陽気のなかでLAというのは、なんかぜんぜん別の世界で、これはなんでしょうね? になってしまうのだった。

Erotic: Passion & Desire

Sotheby'sでのオークション前の展示。 12日の午後に。
エロ(ティック)をテーマに、Webにはのっけらんないようないろんなの - 古今東西の写真に彫刻に家具に絵画に - がびろんびろんに並べられていて大変お勉強になった。あんなの、どこのどんなお金持ちが買うんだろうなー。 どこにどんなふうに置くんだろうなー、とか。

それにしても、美術館はあまりにいっぱいありすぎて、どうしようもねえ。
殺す気か。

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