こっちに来て3度目の週末が来て、そろそろ住むところを探し始めないといけなくて、ぷらぷら遊んでばかりいるわけには、なのだが、見たり聴いたり食べたりしなければいけないものもいっぱいあって、果たしてどっちがだいじなのか? どっちもだよ。
展覧会やシアターの情報をどうやって仕入れるのがいちばんよいのか、実はまだよくわかっていなくて、もっともかんたんで確実なのが地下鉄のエスカレーターの両脇の壁に上から下まで貼ってあるチラシ群で、通勤や移動途中の昇ったり降りたりする都度にあれらを目皿にして追っかける。 動体視力(ていうの?)はよくなった、のかもしれない。
これもそういうふうに見つけたやつで、燃えあがるだいだい色で、あ、”Flaming June”だ! けど、あれってたしかプエルトリコにいるはずだったよね、と思って調べてみたら里帰りしているのだと。 里帰りどころか作者Frederic Lord Leightonのおうち - Leighton House Museum - つまり実家に戻っているのだと。
Leighton House Museumはどうせ行く予定だったし見てこようか、と。
18日の土曜日、朝食を食べたあとでバスでNotting Hill Gate まで行って、そこから狭い小道を延々抜けてHolland Park(ぜんぜん知らなかったわこんなの)から住宅街に入ったところにLeighton卿のおうちはあって、外観はふつうの高級住宅街にある重そうなお屋敷なのだが、邸内の黒光りする落ち着いてひっそりと狂っているかんじはおおヴィクトリア朝! としか言いようのないものだった。 ぎんぎらでもないし凝ってデザインしたかんじもない。 Arab Hallの研ぎ澄まされた落ち着き具合なんて、もとから根が生えてなにかが育ってしまった、そもそも水は始めからそこに湧いていたかのような、何かの胞子が繁殖して戻れなくなってしまったかのような、そんな揺るぎなさ。佇まいとしては邸宅、というより寺院のそれに近いかも。 椅子とかソファのうえにいちいち松ぼっくりがひとつ置かれているのがおかしかった。 あと寝室だけしょぼすぎるところもなんかかっこいい。
ほんとうはこういうのの裏でこれらを隠れて死守している怪しい一族でもいてくれたら最高なのだが、いや、これ、いちおう美術館だから。
フロアをあがって展覧会のパート。 1895年のLeighton のアトリエを撮影した割と有名な写真があるのだが、そこには”Flaming June”を含めた6点の絵画が写っていて、今回はそのうち、北欧で行方不明になっている「習作」を除く5点がリユニオンしている - 3点は個人蔵、1点はメトロポリタン美術館から、1点はプエルトリコから - というのだから、こんなの必見に決まっている。
5点は、"Candida" (1894-5)、"Lachrymae" (1894-5)、"The Maid with the Golden Hair" (1894-5)、 "‘Twixt Hope and Fear" (1895)、"Flaming June" (1894-5)で、どの女性たちもすばらしくかっこいいのと、METの"Lachrymae"と"Flaming June"は対になっている女性像なのね、というのがようくわかった。 あと本を読む女性 - "The Maid with the Golden Hair"のモデルはLeightonのミューズDorothyの妹なのね。
そして"Flaming June"の本物は冗談みたいに輝いていた。 服のひだひだと足のつっぱり、腕のむっちりと、耳の先と頬のピンクと、これが寝姿である、というところに透ける橙色が炎のように - でも激しく、ではなくふんわりと覆いかぶさって全体が柔らかくまどろみながら、でも燃えたっている、ていうところがよいのね。
60年代、こいつをたったの£2000で売っぱらった責任者、でてこい、だわ。
これに邸内にある遺作の"Clytie" (1896)を加えると彼の描いた女性像はほぼ網羅されるかんじで、だいたい神話のなかに住んでいるような(住んでいてほしい?)人たちだったんだねえ、と。
2.20.2017
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