11日の土曜日の昼、映画館の近所のレストラン - Quo Vadis で子ヤギのロースト(ごめんね)を食べてから見ました。
まだ封切り前で、上映後にQ&Aつき。当然のようにフルハウス。
冒頭、青灰色の猫のアップで、猫が見ているのは暴漢に襲われているElle (Isabelle Huppert)であることが、格闘の音や呻き声、そこから出ていく黒覆面の男の姿でわかる。
襲われた彼女は放心状態になりつつもふつうに病院行ったり会社行ったりして、また周囲にもレイプされたことをさらっと言ったりするものの警察には届けない。
Elle - Michèle Leblanc はアダルト・バイオレンス系のゲームソフト制作会社を経営していて、夫とは離婚して一軒家にさっきの猫と暮らしていて、息子はファストフード店でバイトしたりしているがだめだめで、そこらの性悪ビッチにつかまってできちゃった婚をさせられそうになっていて、老いた母親は若い筋肉バカと一緒になろうとしていて、幼時の彼女に決定的な傷を残した父親は刑務所にいて顔も見たくなくて、会社の同僚の友人の夫とたまに寝たりしていて、要するにいろんな顔とか面とかがいっぱいあって、映画は彼女を襲ったやつはどこのどいつなのか - 彼女のそばで彼女を執拗に見てつけ狙っているらしいそいつは、彼女を憎んでいる会社の若いプログラマーのだれかなのか、隣人や知り合いのだれかなのか、そいつを見つけて捕まえたらどうしてくれよう、という彼女と犯人の追って追われて襲われてのサスペンス(含.妄想)と、それらと彼女の半径数10メートルの家族や知り合いとのやりとりを通してElleというひとりの女性(像)を浮かびあがらせる。
上映後のQ&AでIsabelleさんも言っていたように、女性はものすごく強かったり脆弱だったり勇敢だったり臆病だったり淫らだったり澄ましていたり熱かったり冷たかったり、そういうのがひとりの人格のなかに普通に共存しているのだと、それはたぶんもっともなのかもしれないが、それをひとりの女性を主人公とした一本の映画のなかで、その限られた時間のなかでいったい、どんなふうにいっこの塊として示すことができるのか。 それを可能としてしまうのが例えばIsabelle Huppertさんのこんな映画で、これは監督の映画というよりは、圧倒的に彼女の、Elleの映画なんだよね。
この映画のなかの彼女が演じる女性は彼女が過去に演じてきた女性たちをところどころ思い起こさせる - レイプシーンでは”Heaven's Gate” (1980)を、自動車事故のシーンでは最近の”Louder Than Bombs” (2015)を - そして、そして、だから? それがどうしたってのよ? 警察でも呼ぶか? 幸せでも呼ぶか? て彼女はいつものように腕を組んで、口をひん曲げてしらっと言うにちがいなくて、それを半口あけて眺める我々は、ああなんてかっこいいのかしら、といつもの凡庸な感想しか出てこないの。
シリアスなサスペンスのようだがこれは間違いなくコメディでもあって、ところどころで笑いの渦が起こっては消えて、と思うと突然びっくりしてシートの背に叩きつけられて、とにかくおもしろいってことなの。 彼女に会ってごらんなさい。人生変わるわよ。
上映後のQ&Aで言っていたのは、まずPhilippe Djian - “Betty Blue”を書いた人なのね - の原作が好きで、彼と映画化の交渉をして、監督がPaul Verhoevenに決まったのは最後のほうで、もちろん好きな監督だったので問題なかった、と。 あと、スクリプトが英語だったので言葉のニュアンス確認も含めて読み合わせに気を使っただけで、リハーサルはだいたい一回で済んじゃって、撮影は12週間でおわった、とか。 とにかく、ため息がでるくらいクール、としか言いようなかったの。
音楽は、”Lust For Life”が流れてきたりして、この使い方は正しいとしか言いようがないの。
あと、同じ原作をArnaud Desplechinが撮ったらどんなふうになったかしら、て少しおもった。
2.13.2017
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