2日の日曜日のごご、ちひろ美術館のあとに神保町で見ました。
『戦後70年特別企画 1945-1946年の映画』ていう特集からの1本。
終戦直後にこんな特集ができるくらいの数の映画が作られていた、という事実にまず驚く。
お客になるはずの大多数のひとたちは混乱と困窮のなか映画鑑賞どころじゃなかったろうし、製作しているひとたちも、演じているひとたちも、それを興行するひとたちも、すべてそういうものだということをわかっていながら、でもなにか - 戦後の復興なのか映画への希望なのか人々の強さなのか或いは本来であればこれを見に来ていたにちがいない沢山の死者たち - を信じて暗闇でフィルムを回し続けていたのか、と思っただけでなんかくる。
そういう彼らのいろんな思いは、例えばこういう特集を通して我々が拾いあげて夜空に誓うのだし、拾いあげて継いでいくべきなのだし、とにかくなによりもこんなことを2度と起こしてはいけない。ふたたびこんなふうに回顧される時代があってはいけないのだ、と。
終戦直後の正月映画として製作され、1945年12月31日に公開された映画。
繰り返しになるけど、戦争が終わって敗戦の後に、どんなふうにその年の瀬を迎えたのか、どんなふうに翌年のお正月を迎えたのか、ということをつい考えてしまうのだが、みんな洋装できらきらのステージの上で楽しく歌って踊る豪華で豪勢なグランドレビュー形式で、そのグランドな舞台を客席から見る我々も畳にちゃぶ台ではないよね、てかんじで、なんかとっても無理してがんばってるようで、そう思うと内気すぎて酒を飲まないとなにもできないコックの森川信と朗らかでみんなの人気者のウェイトレスの高峰三枝子の寸劇みたいなへなちょこ恋物語が間に挟まれて、けっか、明るく元気にがんばらなきゃね、ていうのと、そうはいってもむりなもんはむりよね(笑)、がだんだら模様をなしていて、なんかわるくないのだった。
あと終盤に「水ノ江瀧子」の字幕つきで登場する水ノ江瀧子のオーラがすごくてかっこよくて、おおぉー、てなるのだが、その横に立つ半裸の剃りこみ魔人(あんただれ?)がこちらを睨んでいるのでなかなか集中できなくてさ。 お正月にまったくお呼びじゃないあの淫靡で面妖なかんじがたまんなくて、マキノ正博やっぱしすげえ、だったの。
戦争の悲惨さをを伝える映画が夏になるといっぱい上映されるけど、どうやってその後を乗り切ったのか、ていうのもきちんと知っておきたくて、なぜって今は戦中というより明らかにそんな戦後の延長にあると思うから。 そして今戦争をやりたがっている連中は、「戦後」なんてもう乗り越えられた、なかったことにしたがっているようだから(それを言うなら「戦中」もか)。
8.17.2015
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