17日の金曜日の晩、連休過ぎれば忘れるでしょ、がムカついてならなかったのでやはり国会前に向かう。
あんな愚かなハラス野郎の戯言にいちいち乗るな、というのもあるが、そういうことよりも、かーっとなって一過性の動きをしているのではないのだ、ということを自分に言い聞かせるためにも、少なくとも3日間はこの場所に来て考える、というのをやってよかった、と思う。
デモに誰が来て何を言ってどんなだったか、は後からでも情報として採れる。でも、デモ(でもでも)の現場に身を置いて、あそこで目や耳に入ってくるノイズあれこれに身を曝し、人混みを抜けて吹いてくる風を感じることには別の意義があって、それは参加体験、と呼ばれるのとも違う、自分でやるんだ、なにかにリアクトするのではなく、これを決めてこれを言うのは自分なんだ、というあったりまえのことを確認する、そういうことなのだとおもったし、それ以外の突破口はないのだと。 残念ながら。
If you can't change your world, Change yourself
If you can't change your world, Change yourself
If you can't change your world, Change yourself
And if you can't change yourself then Change your World.
- The The "Lonely Planet" (1993)
ここまで来てようやく思い知れた、ここまで来なければわからなかった、というのは間抜けであるがそうすることで自分の照準が定まるのだし、来ないひとの事情だって十分わかるのだし、別によいのではないでしょうか、と。 好きにやらせろ、と。
というようなことを考えたのは、金曜日、警察の方々の数がものすごく多くて、なんでしょこれは、と思ったからなの。 彼らは歩道に立って「危ないですから立ち止まらないでください」をずっと連呼しているわけだが(おばちゃん達が「あんたうるさいのよ聞こえないわよ」ておばちゃん的に突っこみ続けるのが素敵だった)、べつにどっかに突撃しようとしているわけではなく、単に自分がコールをするスペースを探しているだけだからちっとも危なくなんてないのだが、彼らはそういうとこがわかんないらしい、このギャップは思っている以上に深いんだろうな、と。
デモの若者たちに対する中傷とか、戦争と火事の違いがわからないらしい首相とか、なんかいちいち致命的で、こういうのはもう数でわからしてやるしかないのだろうか。
でもわかりやすく子供みたいにって、なんか違うと思うし、暴力ともちがうんだからね? ね? とか。
まあとにかく今週も行くしかない、という結論に。
7.21.2015
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